「インタビュー週間」が終了ーー渡辺幸弘さん(ギリー倶楽部)、松山慎之介さん(人吉仕事サポートセンター長)。

5人の人へのインタビューが本日で終了しました。

10時:渡辺幸弘さん。キリー倶楽部主宰。ZOOM取材。

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サントリー26年。ギリー倶楽部20年、ストレスフリー。自由人。人と人を結びつける案内人。2100回のイベント。リモート110回。シニアが楽しめるコンテンツ開発。音楽。絵画。飲食。毎日が未知のゾーン。今。新しいこと。テクノロジー。やさしさとしたたかさ。リモートという武器。リアル&リモート。回想法。グレーター中国。誠品生活。2割。好奇心とフットワーク。学ぶ姿勢。青年期。壮年期。実年期。71。

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松山慎之介さん。人吉仕事サポートセンター長。ZOOM取材。

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地域。手応え。台湾。球磨。投票率SNS。1800回。3年。人の縁。人間。運命・偶然・選択。水害。川上。自分。タガ。失敗。観光。コロナ。青年期。壮年期。実年期。67。

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昼食:橘川さん

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夕食後:参加型社会学会のイベントに少し顔をだすが所用ですぐに退場。

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「名言との対話」7月9日。山中貞則「後継は山中家から出してはいかん」

山中 貞則(やまなか さだのり、1921年(大正10年)7月9日 - 2004年(平成16年)2月20日)は、日本の政治家。

衆議院議員を17期つとめ、沖縄開発庁長官、防衛庁長官自由民主党政務調査会長通商産業大臣などを歴任した。税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。

南日本新聞記者、鹿児島県議会議員を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧鹿児島3区から自由党公認で出馬して初当選。1955年自由民主党結成で河野派に属す。1958年岸内閣の大蔵政務次官に就任し、難題であった物品税の大改正を成し遂げた。1971年佐藤内閣の総務庁長官として沖縄返還に尽力し、沖縄開発庁長官に就任する。

「光の当たらない所に光を当てるのが政治家の使命」と確固たる信念を持ち、国際政治では沖縄復帰・復興への尽力、国内政治では消費税導入による税制改革、この二つを政治家としてのライフワークとしている。

江戸時代に薩摩が琉球を支配したことへのしょく罪意識、米軍が沖縄上陸作戦を選ばなかったら故郷の鹿児島が舞台となっていただろうことへのある種の感謝、それが山中が沖縄に入れ込んだ理由だった。衆院議員初当選から半世紀近くにわたり沖縄問題に深く関わり、沖縄のために683本の特例法を通すなど沖縄振興に尽力した。沖縄県名誉県民第一号となっている。

1979年自民党税調会長となり、「税制のドン」「税の神様」「ミスター税調」と呼ばれていく。1990年税調幹部としのて消費税導入に尽力したとき、「今日から消費税の議論をする。全員落選の覚悟で議論しろ」と述べ、そのとおりに自身が落選した。

しかし1993年に72歳で返り咲き重鎮として処遇された。政府税調と方針が対立して「政府税調を軽視しているのではないか」と聞かれた際には「軽視ではない。無視しておる」と発言して物議をかもしたことは記憶にある。税制調査会では会長退任後も最高顧問として事実上の最高実力者であった。税制にかかわる「インナー」というグループのトップであった。メディアには「税のことは50年しかやっていないのでよくわかりません」と煙に巻くなどエピソードが多い。

山中貞則は義理堅く深い情をもった豪快な薩摩隼人だった。先輩の中曽根康弘総理を「中曽根君」と君付けで呼んだり、「こら待て吉田。なんだその態度は」と吉田茂総理にあたったりしている。

歌人としての雅号は隼人で、戦時中に「いささかの愛惜を断ち焚き捨つる万葉代匠記の炎よ赤し」との歌もある。歌集は2冊ある。

著書『顧みて悔いなし─私の履歴書』(日経事業出版、2002年)のタイトルも山中らしい。2014年鹿児島曽於市山中貞則顕彰館が開館している。私の「人物記念館の旅」では鹿児島はまだ手薄になっている。機会をつくって訪問したい。

日本では世襲議員が多い。投票率が低ければ既得権益を持つ世襲者が当選しやすくなるという構図だから、投票率を高めようとするモチベーションはなかなか上がらない。前回の2017年の総選挙では、世襲と呼ばれる候補者は128人で自民党には94人いた。議員という職業はやはりうまみがあるのだろう。自民党では国会議員の3割は世襲である。菅内閣世襲大臣は6割に及んでいるという。

山中貞則は遺言で「後継は山中家から出してはいかん」と世襲を否定し、身内からの後継出馬を当然視していた自民党鹿児島県連が大騒ぎになっている。最近議員の退任がいくつか報道されているが、秋までに実施される衆議院選挙では後継候補についても関心を持つことにしよう。

山仲貞則という政治家の生涯を追うと、最後まで国を憂う国士だったことがわかる。