「幸福塾」のテーマは「ライフワーカー」ー地域にこだわった人「浅草」「戦後東京」「会津」「下関」「沖縄」「パリ」

「幸福塾」。

10月から始めてできた川柳360のうち、まあまあのできと思われるものが150、その中から20句ほど選んで披露。みなさんの好きな句をあげてもらった。意外なほどばらけるという印象。

本日のテーマは「ライフワーカー」で、特に「地域」にこだわった人を取り上げた。

坊屋三郎は「浅草」。田沼武能は「戦後東京」。早乙女貢は「会津」。古川薫は「下関」。太田昌秀・山中貞則・鎌倉芳太郎は「沖縄」。ロベルト・ドアノーは「パリ」。

 

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以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。本題に入る前のトークの中にも多くの学びがありました。川柳がすでに360首できたこと、これは毎日7首と決めて取り組まれているとのことで、何ごとも締切が大事だということを改めて思いました。また、人物を扱っていると、ほとんどの人のやったことがライフワークとなる、必要なのは「こだわり」と「したたかさ」ということも再認識しました。さて、本日は地域にこだわった人々。知らなかった人がほとんどでした。坊屋三郎の浅草、カメラマンの田沼武能の戦後東京、早乙女貢会津、古川薫の長州、太田昌秀・山中貞則守屋武昌・鎌倉芳太郎の沖縄、ロベルト・ドアノーのパリと、写真、文章、政治活動と活躍の場は異なっていても地域に根ざし地域を徹底的に知り尽くした人たちの生き様を学ぶことができました。地域のことだけでなく、田沼武能司馬遼太郎黒柳徹子随行した話や、早乙女貢の師が山本周五郎であったことやお祖母さんが偉かったこと、古川薫に関して田中絹代が老婆役に徹するために歯を4本折ったというプロ魂など興味深いエピソードも多く知ることができました。テーマによってデータベースの中から芋蔓のように次々と人物がつながって出てくるのが毎回楽しみです。
  • 久恒先生、本日も幸福塾をありがとうございました。写真家、小説家、作家、政治家といった職業は、ライフワークを仕事で実現しやすいのかな?と思いました。もしかしたら、偶然かもしれないですが。久恒先生の想定外の発見が、豊かな学びにつながり、嬉しく思います。公的であれ、私的であれ、何か続けられるものを持つことが、幸福につながることにも気がつきました。幸福に生きている・生きてきた方々の生き様を知ることで、自分が今後どのように生きていくかを考え、実践するきっかけとなっていることに感謝申し上げます
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今日は、ある「地域」にこだわりを持って仕事をしていく中でライフワークが生まれていった人ということで、浅草、東京、会津、下関、沖縄、パリなどに関わりを持った9人の方の紹介があり面白い内容でした。「地域」ということでいえば、 元沖縄県知事の太田昌秀氏、沖縄県名誉県民第一号の山中貞則氏、防衛官僚の守屋武昌氏、染織家であり沖縄文化研究者でもあった鎌倉芳太郎氏など  沖縄がライフワークとなった人が多く、興味深く伺いました。また山口県出身の小説家古川薫氏の「樹液の還流を聴く樵のようでありたい」という言葉が印象に残りました。樹液の大きな流れをも感じる樵に自分の理想像を例えたものと理解しましたが、やはり土地柄から生まれた感性なのかなと想像しました。またパリの写真家ロベルト・ドアノーの「パリは時間の浪費がチケット代わりになる劇場だ」という言葉もパリという「地域」への愛着や観察する眼の鋭さが良く伝わってくる言葉だと思いました。全体を通してみると「地域」へのこだわりが、いつの間にかライフワークを育む大きな要素になっているということが分かりました。久恒先生の川柳の紹介で、一番面白かった作品が「会社人 やっと卒業 社会人」。味わい深いです。次回も楽しみにしています。
  • 久恒先生、皆さまありがとうございました。今回、印象に残ったことは、33年間も「会津士魂」の連載をライフワークとして続けられた作家の早乙女 貢です。自分にルーツや地域に関わることに取り組む人は、強みがあると思いました。偉業を成し遂げた背景として祖母の影響や家庭教育の影響は大きいいということを感じました。長州藩山口県をテーマにした作家の古川薫のお話もとても興味深いと思いました。山口県生まれで山口に住みながら、作家活動をしている古川薫は、直木賞を10回もチャレンジして最高齢、当時の最多候補でやっと直木賞を受賞して忍耐強いと思いました。忍耐強くこつこつと努力できた原因の一つに、自分の生まれ育った地域で他県の人よりも詳しい自分の地域の山口県のことを取り組んだからではないかと思いました。直木賞受賞作も山口出身の藤原義江の伝記小説「漂泊のアリア」で受賞され、やはり、身近な地元の力は強いと思いました。私も、古川薫のように何か郷土に関係のあることを調べてライフワークとしてこつこつと調べてみたいと思いました。久恒先生の川柳の紹介で、「のど自慢、家族自慢 クニ自慢」は、のど自慢の歌だけでなく、歌だけでなく、地域を感じ、また3つの自慢が重なって面白いと思いました。谷さんの「GDW興国論 幸福度世界一の国へ」 下村博文氏のお話しを聞いて、主観的幸福について関心があり、読んでみたいと思いました。垣内さんの「釣り一人」の記事を書いた山村聡氏のお話を聞いて、釣りという自分の趣味を持つことで、仕事も頑張れるということがよくわかり、興味深かったです。都築さんの菅原文太が環境問題に取り組んでいた話も、興味深かったです。 次回も楽しみにしています
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日の幸福塾は「個人」の第2弾、「地域にこだわり抜いた人びと」について久恒先生よりレクチュア頂きました。『地域』に根を張りそこから発信した人びととして、小説家、写真家、染織作家といった「アーティスト」と、政治家、官僚といった「公僕」が取り上げられました。中でも当方がひと際印象深かったのは太田昌秀元沖縄県知事です。かつて「夏の自由研修」と題して沖縄米軍基地問題について調べた事が有りますが、①県民の安全確保と経済振興との狭間、②中央政府地方自治体との狭間で知事は悩み、裏切りに近い「すれ違い」により生じた中央政府との『わだかまり』は根深く蓄積し、今や訴訟という全面対決の形に発展、太田さんのみならず歴代の知事達が自らの生命を賭して取り組むその姿に強烈な印象を覚えたことを鮮明に思い出しました。本日は講義の振り返りというよりも、その時の『熱』を再確認する意味で、当時作成した図解から、大田氏が知事在任中の出来事を抜き出してみました。30年程前の出来事ですが、解決できぬまま今に至っているという事実を是非共有したく、図を掲載致します。宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。今回は地域での仕事に力を注いだライフワーカーの勉強をさせていただきました。税制のドンであった山中貞則氏が沖縄への思い入れの深さが、出身の鹿児県民としての感謝贖罪から来ていることを勉強できました。「後継は山中家からは出してはいけない」という人間性もあり、自民党の代議士でありながら、沖縄県名誉県民第一号に認定されたのも納得できました。冒頭に松下幸之助氏の言葉を紹介いただき、名言の域を超え金言であるとのこと、「教養一日、休養一日」。週休二日制度導入時に聞いた記憶がありますが松下翁の言葉とはしりませんでした。最高のコピーライターでもあったのですね。最後に個人的なことですが、来年退職の予定なので「会社人 もうすぐ卒業 社会人」の心意気でいきたいと思ってます。パクリましてスイマセン。次回も宜しくお願い致します。

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「名言との対話」11月30日。長谷川如是閑「日本は職人の国としての国柄を持っている」

長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年明治8年)11月30日 - 1969年昭和44年)11月11日)は、日本ジャーナリスト文明批評家、評論家作家

東京都江東区木場出身。明治小学校、島本小学校、坪内逍遥の塾、中村正直の同人社、共立学校、明治法律学校、東京英語学校、東京法学院予科、国民英学会、東京法学院英語法学科、そして1898年に東京法学院邦語法学科を卒業。

卒業後、1903年から3年間に陸羯南日本新聞社で活動、1908年には村山龍平の大阪朝日新聞に入社する。ロンドン特派員、コラム「天声人語」、そして1915年の社会部長時代には全国中学校優勝野球大会(後の「甲子園大会)を創設した。この間に米騒動に発展した記事でこの騒動に火をつけている。

1918年、白虹事件で朝日新聞を退社。雑誌『我等』を創刊、森戸事件で擁護の論陣を張った。大正デモクラシーを代表するジャーナリストとなった。

戦後は貴族院勅撰議員、帝国芸術院会員。1948年、文化勲章。1951年、文化功労者

学校の転校の多さ、社会人となってからの活動の活発さ、そして言論を武器として日本を代表する文化人に昇りつめる。その影響は実に94歳で亡くなるまで続いていることに驚かされる。「如是閑」という名前は、多忙な人であるから、せめてペンネームくらいは閑そうな名前をということでつけてもらったものである。しかし活動歴をながめると、最後まで暇ではなかったようだ。

男女関係については、以下の言葉がある。

  • 初恋は麻疹(はしか)の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。
  • 女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せられる。
  • 女性が英雄を好むのは、英雄に征服されようとしているのdえはない。英雄を征服しようとしているのだ。
  • 男子は結婚によって女子の賢を知り、女子は結婚によって男子の愚を知る。
  • 男子は羽織より売り始め、フンドシに至りて窮まり、女は肉より売り始め、羽織に至りて窮まる。

政治や、戦争についても、言論人であるだけに、言葉に聞くべきものがある。

  • 「外交官と幽霊は微笑をもって敵を威嚇す」
  • 「戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり」と突いている。

英国流のリベラリストであった長谷川如是閑は、「日本」をテーマとしていた。如是閑は日本人をどう見ていたのか。生活の場面で美を希求する習性、対立や矛盾を併存させる感性、修養を大切にする指向、外来文化との親和を好む気質、自然の変化である季節感を感じる力、、などと規定している。

その上で如是閑は日本の国柄を「職人の国」とみていた。自らの職分に向き合って「佳き仕事」を実践する人に尊敬が与えられる実践の気風のある国である、としている。

「ものづくりの国」という言い方がある。同じことを言っていると思うが、こういった性向は、ものづくりに限らず、あらゆる場面で感じることである。それぞれの分野で職人気質を携えて、いい仕事をしようという気風がある。

私は職人という言葉を職業人ととらえてみえはどうかと提案している。職業をもった人に共通しているのは、他人の評価よりも、いい仕事をして満足しようとする性向が強いことだ。この点は、長谷川如是閑の主張に大いに賛成する。昨日つくった川柳は「職人とは 職業人の ことである」であった。