新著のインタビュー取材の第3弾ーー須藤一郎さんの「青年期」「壮年期」「実年期」「熟年期」。

午後は新著のインタビュー取材の第3弾で小田原の富水にでかけました。

須藤一郎さんの来し方、現在、未来について3時間ほどじっくりと聞きました。

大手生命保険会社に勤めながら、46歳から妻と共に現代美術の蒐集を始めて、54歳で自宅を美術館として開放し、62歳で銀座で美術館を開館し、その後に小田原で美術館を展開した人。現在はギャラリー等で展示やアーチスト支援の活動を行っている。現在85歳。

「青年期」は生命保険会社のビジネスマン。「壮年期」は美術に目覚め町田の自宅を美術館として開放。「実年期」は銀座で美術館を展開。「熟年期」に入り、小田原で活動中ということになります。

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一つの人生。自分自身が作品。宮里藍。絵は多くの人の見てもらいたいはず。自宅開放。世界一小さい美術館。50坪。100万。座していてはだめ。音楽・演劇・落語。相乗効果。人物。交流。受ければ何とかなる。人の評価より自分の評価。何点か。いいことだけを思い出す習慣。一寸先は光。市民功労賞。コロナでアート。老いるショック。世界は広い。現代アート。句会。人生に無駄はない。夢。出前美術館。グローバル。現代の生活空間にあう絵。絵をかけて一生付きあえるか。タテからヨコへ。展覧会。エッセイ。、、、、、

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18時半:町田で弟と食事。

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「名言との対話」7月8日。田中恭一「自分の仕事を好きになること、それこそ人生の扉を開く鍵ではないでしょうか。好きという気持ちの力は計り知れません」。

田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - )は、日本の実業家。

コンタクトレンズの代名詞となっている株式会社メニコンの創業者。

愛知県出身。父は竹彫作家の田中華山。13歳、戦時中の軍需工場で1年半にわたり手とり足とり教えてもらった腕のいい職人との出会いがあった。

手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店の玉水屋に勤務する。仕方なく始めた丁稚奉公だった。常連客のアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞いたが、いくら頼んでも見せてもらえなかった。「アメリカ人に作れて日本人につくれないはずはない、何が何でも自分で作ってやる!」と決心する。

『無から有を創造する楽しさ』(中経マイウエイ新書)を楽しく読んだ。

自転車にのって風圧を感じ、水中ではどうなるかを自分で確かめる。人に聞く、材料をさがしまわる。題点を確認しすぐに改善するなど、独学でレンズの開発に取り組んでいく。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、3か月で日本で初めて開発した。

この「知らなかったからこそできた」というこの経験から、「人真似をしない」ことが、その後人生の指針となり、メニコンの方針となる。そして研究開発、製造、販売まで一貫して取り組む企業として業績を着実に伸ばしていく。

「視力の提供を通じ、信頼できるパートナーとしてお客様の人生と関わってゆきたい」「安全、快適、便利」な商品の開発というのがメニコンの姿勢だ。現在の経営状況をみる。資本金54億。従業員1512名。営業所15、販売店53、研究所・工場6、カスタマーセンター3、物流センター5。子会社は国内9、海外14。2021年3月の売上高は860億円、経常利益83億円という優良企業となっている。現在もある玉水屋店頭には『コンタクトレンズ誕生の地』の記念プレートが設置されている。

2021年9月16日(木)にメニコンスーパーコンサート2021 歌劇「あしたの瞳~もうひとつの未来~」を愛知県芸術劇場大ホールでグランドオペラを上演するとのニュースが流れている。田中恭一の半生をモチーフとして、「みる」とは何か?「みえる」とは何か?がテーマのlグランドオペラに700名を招待するというのだ。

「自分の仕事を好きになること、それこそ人生の扉を開く鍵ではないでしょうか。好きという気持ちの力は計り知れません」。90歳をまじかに控えも「好きという心、より良いモノを作りたいという探求心が火をつけた情熱は、今日も煌々と燃えています」と語っている。

たまたま与えられた目の前の仕事を徹底してやれば必ず好きになる。好きになると「案外、壁なんてない」ことがわかる。人生の扉を開くカギは、仕事を好きになることなのだということがよくわかる。

コンタクトレンズの代名詞となった企業を起業した人というより、コンタクトレンズという業界を創造したというべきこの人の映像をみると、仕事に惚れて、楽しくてたまらないという表情をしている。「好きこそものの上手なれ」という先人のことわざの威力を改めて感じる。