「角川武蔵野ミュージアム」(所沢)ー図書館と美術館と博物館が融合した巨大な有角建築と、内部の謎に満ちた不思議な空間。角川歴彦、隈研吾、松岡正剛、、。

先月、埼玉県所沢のサクラタウンの「角川武蔵野ミュージアム」を訪問しました。

角川歴彦がオーナー、隈研吾が設計、松岡正剛が館長という特別なミュージアムが誕生していました。図書館と美術館と博物館が融合した巨大な有角建築です。

「魑魅魍魎とも霊魂とも神々とも言えるスーパーマインドみたいなものが下からぱっと持ち上がって五階建ての岩場を築いたという印象」と松岡は見事な紹介をしている。この花崗岩2万枚でできた角ばった建物は、隈研吾の代表作となるだろうと自身も認めている。

外見だけでなく、巨大な空間を持つ内部も普通ではない。謎に満ちた空間である。

楽しむ「想像力」、考える「連想力」、感じる「空想力」な混ざっている不思議な異空間だ。

松岡正剛館長の選んだ2万5千冊の図書が9つの書域、それが15の書区、それが10列の書列になっている。

角川が出版した本3000冊が主役の円形の「本棚劇場」がある。プロジェクションマッピングも。ここでは子供たちが説明を熱心に聞いていた。

もう一度、長い時間をとって楽しまなければ全体像とそれぞの関係が理解できない。また再訪したい。

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「図書街」。本棚でできている「本の街」。2万5千冊の本が並び壮観だ。

「本の賑わい」「連想の翼」「ブックウェア」「読前・読中・読後」という読書。

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9つの「書域」:「千夜千冊」を20年継続して来た松岡正剛の世界観。分類ではなく連想の海。

「記憶の森へ」:人間が世界を感じてきた流れ。

「世界歴史文化集」:世界の文明と文化を総覧。

「むつかしい本たち」:学問の世界。世界の言語。百科事典。

「脳と心とメディア」:知覚と脳、さまざまのメディア群、AI。

「日本の正体」:歴史・文化・文学・芸術。最大の書区。

「男と女のあいだ」:「細胞とゲノム」から「傑作ラブロマンス」まで。

「イメージがいっぱい」:詩歌、音楽、ヴィジュアル本、SF、、。

「仕事も暮しも」:多彩な職業の本と、実用・趣味の本。

「個性で勝負する」:世界中、歴史の中にあらわれた格別な個性をもった人々の本。

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荒俣宏の蔵書群。

「ここには生きたヤオヨロズの香りがする。ネットによる自動化を拒否する生臭さがふんぷんと漂っている」「松岡正剛の想像力また妄想力が、隈研吾の美意識の上で躍動している」(坂井修一)

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武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)。

命名中西進。デザイン監修は隈研吾

(資料:「武蔵野樹林」4号、5号)

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「名言との対話」10月4日。三枝佐枝子「どうしたら少しでも美しくふるまうことができるか、どうしたら少しでも教養ある女性といわれるよういなれるか」

三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年10月4日 - )は、編集者、評論家。

山梨県甲府市生まれ。1941年日本女子大学を卒業後、翌年に1結婚。

1946年、26歳で中央公論社へ入社。1958年に『婦人公論』編集長。日本で初めて大手出版社での女性編集長となった。総合雑誌的カラーを大幅にかえて斬新な誌面を作り読者層をひろげた。編集長として就任していた 1958年から1965年までの7年間の『婦人公論』は、揺れ動く性道徳や女性観の中で、女性が抱える実際の悩みや解決方法を具体的に取り扱ったという特徴があった。のち女性初の編集局長に就任した。

1968年に退職し、1973年には商品科学研究所所長。1984年には山梨県立総合婦人会館館長と県教育委員を務め、『山梨女性史ノート』編纂にも携わる。1984年から13年間、読売新聞の人生相談を担当した。

著書。『女性編集者』(筑摩書房, 1967)。『日本の母たち』(中央公論社, 1973)。『魅力ある女性への25章』(PHP研究所, 1974 )。『さわやかなひとに』(PHP研究所、1976)。『共働きの人間学 仕事も結婚もと願う女性へ』(ティビーエス・ブリタニカ, 1980)。『働く女性のサクセスノート』(大和書房, 1983) 。『女が一生、仕事を上手に続けていく法』(三笠書房, 1991)。『生活者の発想 実態とニーズを探る15篇』(実業之日本社, 1994)。

1978年に刊行された『さわやかなひとに』を改題した『さわやかに生きるひとに』(三笠書房)を読んだ。副題は「働く女性のための心のエチケット集」だ。

「しきたり、礼儀作法、心くばり、おつきあい、気働き。女が女として、人間としておのずから身につけていなければならないもの、少なくとも身につけてほしいものなのである」。「清潔に優るものはない」。「女がつよくなる。女の良さを百パーセント発揮して、男性に対しても優位に立つ魅力ある人間として成長することではないかと思う」。「相手の立場に立って考えるーーあるいはそれこそ女らしさの第一の条件ではないだろうか」。「タイミングが悪いということは、相手の気持ちがわからない、ということにもなる」。

以上は、部下としての立場の若い女性社員向けのアドバイスだ。

そして、「どうしたら少しでも美しくふるまうことができるか、どうしたら少しでも教養ある女性といわれるようになれるかと考えてきた」三枝は、20年余に及ぶ編集者生活の中で、しだいに仕事師としても目覚めていく。

上司に信頼される「仕事のこなし方」という項目があり、まったく同感する。「何か頼まれた時、必ず自分が納得のゆくまで聞いて、理解した上で引き受けることである」。「他人から頼まれたことは、できるだけすぐにすることである」。「頼まれたことをやった場合には、必ず報告することが望ましい」。「上司にとって好ましい部下というのは、報告をキチっとし、連絡のよい人である」。

また、部下を持つことになった時の心得も語る。「信頼のできる人の第一の条件として、公私の区別のはっきりした人、をあげたいと思う」。公私混同を戒めている。大賛成だ。役得という言葉があるが、それに身をゆだねていては部下の信頼は得られないし、組織にも悪い影響を与える。そういう事例が、政界、官界、経済界にも最近増えてきた。精神の清潔さを尊ぶ価値観が薄れてきている感じがある。これこそ、日本の危機である。

役得などはない、役損は確かにある。役職に就くということは権力を手に入れるという事ではない。責任が重くなるということなのだ。三枝三枝子のような女性のアドバイスは大事だ。この人が新聞の人生相談に長く携わっているのは納得できる。