『AIのべりすと文学賞・記念トークライブ 奥出直人氏+ Sta氏』を受講しました。60人ほどが参加。
奥出さん(慶應義塾大学名誉教授)は文化人類学から出発。エージェント型AI、ロボットへ。Staさん(33歳)はゲームクリエータから出発。ゲームデザイン、、、AIのべりすと開発者。司会は田原真人さん。
対談のテーマは「AIと人との関係。どうコミュニケーションをとるか」。AIの最先端がどうなっているのかを聞けた刺激的な内容だった。
以下、難しい言葉や新しい概念があり、よくわかったとはいえないが、私の理解の範囲でのメモ。
- AIの弱点だった3人称問題を克服しつつある。キャラクターや心情をあらわせるトランスファーを組み入れたのがAIのべりすと。
- 今までのAIは文法やルールを探してきた。今のAIは過去のしかみない。過去の記憶、蓄積から先の物語をつくっていく。要素の組み合わせだ。関係性だけでやっていく。大きな変化だ。
- 今までのAIは大企業中心の超大型のAIだった。カスタマーサポート、検索エンジン。成果を求めらるため、精度をあげることに注力するが、ある段階ではコスト効果が減っていく。今のAIはコンピュータを消費者の手に取り戻そうという草の根の流れにある。「創造的AI」がテーマ。音声、感情を含むマルチモードAIの時代。小さなAIをトレーニングする、変換するアダプターの世界。
- 人間と一緒に仕事をするAI。農業アプリ「アグリ」。農業は楽しいが、重労働。重労働の部分をAIで軽減。手作業は残る。生産性重視のAIか人間と一緒に辛い労働に入っていくロボット。漢方、介護などの医療分野も。個人、小集団のAIは楽しい。
- 人間は人間と、自然と、AIとインターラクトする。AI同士のインターラクトも。IOTの目指している世界。AIのべりすとはアダプターという技術を実装している。ユーザーがトレーニングしていく。ファインチューニングはそれほど必要ないが訓練が必要。タグ付けで精度がアップしていく。AIは妖精だ。
- AIのべりすと1+1が2ではない世界。巨大な脳。深層学習。言語に実装。
- コンピュータはもともと哲学、文学にも近い存在。
- ジェネラレーション(一般化)できるのが人間の知能。ヘレンケラーの「水」。小さいAI、あいまい。
- 脳は自然やコンピュータとも共生し新しい人間になっていく。ベーコン以来の経験主義から飛び出す。
- AIのべりすと。話し相手、記憶、要素の組み合わせ。人間の本質に突き刺さっているのではないか。
「創造的AI」がキーワードだった。小説を書くということは一人だけの孤独な作業だった。AIのべりすとの誕生で、対話しながらの共同作業になった。面白いという感覚。また俳句や短歌などにも活用できるらしい。どちらも「座の文芸」という要素がある。リアルの場だけでなく、一人でも、数人とのリモーとでも楽しめるようになる。どちらも豊かな時間を過ごすようになる。こういった創造的AIは人間の本質をアシストしてくれるのではないだろうか。
この対談でも、創造は新しい組み合わせだということになっている。新しい関係の発見が創造だ。この点は私の考えとは変わってはいない。それにAIの力を借りようということだろう。
以上が私の学び。
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「名言との対話」3月3日。正宗白鳥「「私も青春のことを懐かしみ、若い人を羨むことがあるが、しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、何よりも先に煩わしい思いがする」
正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治 から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。
岡山県備前市生まれ。東京専門学校文学科卒。早稲田大学時代の白鳥は教壇に立っていた高山樗牛の誤訳を指摘するなどして高山樗牛から「秀才」と言われている。卒業後は読売新聞に入社し、文芸欄を担当し、美術・文芸・教育関係の記事を書いた。
「寂寞」「塵埃」「何処へ」「微光」「入江のほとり」「生まざりしならば」などの自然主義作品を書く。「安土の春」「光秀と紹巴」などの戯曲もある。評論も多い。
1935年には、島崎藤村・徳田秋声らと日本ペンクラブを設立し。藤村の後を受けて1943年11月3日から1947年2月12日まで会長をつとめた。1950年文化勲章。
『素材』(青空文庫)を読んだ。「素材は多い、しかし、それを芸術品に仕上げるのは六ケしい」というのがこのエッセイの結論だったもは少しおかしく笑ってしまった。
『文壇五十年』(中公文庫)を読んだ。記者時代に気まぐれに小説を書きだして、いつの間にか文学を一生の事業にすることになった。それが50年続いたから文壇史を書こうという。尾崎紅葉、坪内逍遥、戦争劇、岡倉天心、翻訳文学、抱月藤村花袋、鴎外と漱石、樗牛らの日本主義、自由劇場、幸徳秋水、キリスト教と文学、左翼評論、マルキシズム、プロ文学、言論の制約、戦争と文学、敗戦後、、、、などが並んでいる。
率直な物言いで作家らの真実がみえる感じもする。瀬戸内寂聴の「奇縁マンダラ」を思わせる書きぶりだった。こういう気楽によめる同時代史は意味がある。
若い時代に戻りたいという人はいる。しかし、あの先の見えない、疾風怒濤の、迷いの多い、そして無数の選択を突きつけられた、あの時代に本当に戻りたいだろうか。煩わしい、そして怖い感じもある。それだけ世の中を渡ることは危険に満ちている。正宗白鳥の告白に私も共感する。