ZOOMで5つのアクティビティ:午前「打ち合わせ」「図解ウェブ」・夜「打合せ」「言語ビッグバン」「編集会議」

9時半:近藤さんと打ち合わせ。

10時半:岩沢君と「図解ウェブ」の新版の相談。「集大成と新世界」がテーマ。

19時45分:力丸君と打ち合わせ

20時から「言語ビッグバン」。

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  • Deepl言語圏。集合知。多言語ワークショップ。ブリューゲルバベルの塔(罰。ギフトを手にし合う)。ウクライナ。方言も。論文ーDeepl翻訳ーネイティブー発表。
  • ZOOM(グループ対話)・Slack(テキスト)・miro(全体プロセスをアーカイブ
  • Twitter・A翻訳(Deepl・MSトランスレーター・パパゴ)・マップアプリ・gecode(経度・井戸)・Palet(タグ付け可)。各国のニュース。、、、人類としてのチャレンジ。Slack:事前動画。ツール。
  • ブレークアウト:ともとも。しょーちゃん。オオスミノリコ。
  • 課題:事前動画。一次情報を探す。何が話されているのか。わかったことを報告。相互コメント。
  • 受信文明からの脱却。日本のチャンス。19人。男性6・女性9。男性2・女性8。

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22時から「図解塾」第2期レポートの編集会議。23時まで。

2期は21回で、正規授業14回、課外授業7回。1期の3倍のボリューム。

編集方針がほぼ確定。

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第2期編集会議メンバーからの報告。

  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れ様でした。「第2期」分編集会議#1へ、多数のご参加と活発なご意見・議論大変有難うございました。確定申告を横目に、2度にわたる週末スタディ~仕込みを敢行。心強きサポート頂きましたS様はじめ皆様と共に、「次何するか」が明確になった「濃い!」1時間を共有出来、何にも代え難い喜びです。おっと、アクティビティは始まったばかりなので、引き続き「超積極的上機嫌」を維持しつつゴールまで進めて行きたいと思います。本日のポイントは①実施回毎に、「テーマ要約」「塾生感想」「成果物」を集約する形で構成する事、②第2期は「課外授業」を特集する事、③Word回付でアンダーライン作業を進め、次回以降の「図解塾」終了後枠にて引き続き連携させて頂く、でした。一方、スタンプ・挿絵などの「飛び入り」も大歓迎!詳細は添付パワポを参照の程お願い致します。脳汗カキながら取り組んで来た図解塾の成果を、塾生自らが造り込むというこの壮大な「復習」プロジェクトに今後もクワクしながら取り組んで行きたいと思います。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、図解塾のみなさん、本日の「図解塾2期レポート」の編集会議にご参加いただき、ありがとうございました。垣内さん、会議の準備から当日の進行やとりまとめまですべてご担当いただき、どうもありがとうございました。2期も3期も、1期とは違った講義がそれぞれありましたので、お手本の1期のレポートがあっても、まとめるためには課題満載状態でした。今回、久恒先生やみなさんからご意見やご提案をいろいろいただきましたので、方向性がほぼ定まったように感じました。読み手が図解に興味を持って読み進んでくれるようなレポートを目指して、これから少しずつ、担当者で分担しながら作成していきたいと思います。なお、今後は毎週、講義終了後にお時間をいただいて、編集会議を開催し、進捗状況の報告や相談などをさせていただきたいと思いますので、引き続きご協力よろしくお願いいたします。

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「名言との対話」3月2日。米内光正「人間というものは、いついかなる場合でも、自分の巡りあった境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」。

米内 光政(よない みつまさ、1880年明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。連合艦隊司令長官海軍大臣(2回)、内閣総理大臣を歴任した。

岩手県盛岡市出身。海軍兵学校、海軍大学卒業。第3艦隊司令官、佐世保、横須賀各鎮守府司令官を経て、36年連合艦隊司令長官。 37年林内閣の海相。同年大将に昇進した。近衛、平沼両内閣に留任し、40年1月には首相に就任。日独伊三国同盟締結に反対したが、半年で辞職した。 44年太平洋戦争の戦局が悪化し、東条内閣が崩壊すると、小磯内閣に副首相格の海相として復帰。さらに鈴木、東久邇、幣原の各内閣に留任して、終戦の難局に対処した。

若い頃は「グズ政」といわれたが、多くの人たちから将来を期待される不思議な人物であり、予備役参入の危機回避や要職への起用などにあたって、本人の意向とはかかわりなく、上司や部下たちの支持で担がれている。斗酒を辞せずの酒量であり、私心はなく、そして包容力の大きな東洋的指導者の典型であった。

米内光正、井上成美、山本五十六という海軍コンビは、大東亜戦争への突入を回避しようとしたが、強硬な陸軍によって志を果たせなかったようである。

米内の発言を追ってみよう。

太平洋戦争への反対論。「勝てる見込みはありません。日本の海軍は米英を相手に戦争ができるように建造されておりません」「陸相は互角というが、ブーゲンビル、サイパン、レイテ、硫黄島、沖縄、みんな秋からに我が方は負けている」「あなたがなんと言おうと日本は戦争に負けている」「私がかねてから時局収拾を主張する理由は、、、、一に国内情勢を憂慮すべき事態(食糧事情などによる国内秩序の崩壊から日本が内部から崩壊すること)が主である」。

戦後の日本について。「日本には古来から日本独自の伝統思想風習がある。その上にアメリカ流の民主主義を無理にのっけたらからといって結局反動が来るのではないか、それを心配している。」「日本が本当に復興するまで二百年かかる」。

 リーダー論。「器の中で自由に泳がせておけばいい。器からはみ出しそうな者がいれば頭をカリとやる。それ以外は手も口も出さない。かし部下を泳がせる器は自分が作るものだよ。自分の心がけ次第で広くも狭くもなる」。

川柳「川の水 魚棲むほどの 清さかな」「ねたふりを しても動くや 猫の耳」。短歌「見るもよし聞くもまたよし世の中は いはぬが花と 猿はいうなり」。こういうユーモアも人心をつかんだのであろう。

「われわての三国同盟反対は、あたかもナイアガラの流れに逆らって舟をこいでいるようなもの」「むろん反対したが殺されていたでしょうね」と緒方竹虎の質問に答えている。昭和天皇の信頼も厚かった米内光正、山本五十六、井上成美という海軍のコンビを、阿川弘之半藤一利などが高く評価していた。

閑職にあるときには「人間というものは、いついかなる場合でも、自分の巡りあった境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」と心構えを部下に語っている。山田風太郎『臨終図鑑』では「断乎として終戦に導き、終戦時にあっては厳乎として海軍を抑えた」と記されている。そういう心境でそれぞれの難局に対処していった人である。こういう処世観に同感する。

手違いで阿川弘之『米内光正』を事前に読めなかったので、ウィキエディアとブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の情報で組み立てたので、後に修正。加筆する予定。