「耳読」:大倉喜八郎。安田善次郎。本多静六。いずれも幕末生まれの地方出身者。

「耳読」で3人の自伝的書籍を連続して聴いた。明治時代の大倉喜八郎安田善次郎は経済、本多六は学問の分野で名声を博した人物。いずれも「明治の男」であるのだが、実際に生まれたのは、幕末であった。明治の男たちは実は江戸生まれの人たちであった。

大倉喜八郎『致富の鍵』

1837年生、越後(新潟県新発田市)生まれ。ホテルオークラという超一流ホテル名前を遺す。

  • 自分で働らいて儲けて、一寸儲ければ一寸だけ、一尺儲ければ一尺だけ、次第次第に大きくなるのがよいのです。
  • 予定より十パーセント安く仕上げて、その半分をお得意様に返し、残りを当社の利益にせよ。そうすればますますうまくいく。
  • 志は将来にあって今日にあらず、小成に安んぜずして大成を期す。
  • 私は王陽明に私淑しておる。

 

安田善次郎『富の活動』

1838年越中富山生まれ。安田財閥の創業者。

  • 今日一日、腹を立つまじきこと、今日一日、人の悪しきを言わず、我が良きをいうまじこと。
  • 三つの誓い「1.独力独行で世を渡り他人の力をあてにしない。一生懸命働き、女遊びをしない。遊び、怠け、他人に縋るときは天罰を与えてもらいたい。」「2.嘘を言わない。誘惑に負けない。」「3.生活費や小づかいなどの支出は収入の十分の八以内に止め、残りは貯蓄する。住宅用には身代の十分の一以上をあてない、いかなることがあっても分限をこえず、不相当の金を使うときは天罰を与えてもらいたい。」
  • 収益の幾分かを慈善行為に寄付し、必ず名聞望むべからず
富の活動

富の活動

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1921年に殺害される。享年82。「陰徳」という信条のため、東大安田講堂の寄付などの貢献を積極的に知らさなかったこともあり、1921年に暗殺された。享年82。

 

本多静六『私の生活流儀』

1866年、武蔵国(埼玉県久喜市)生まれ。日本初の林学博士。日本の公園の父。東大教授。

  • 人生の最大の幸福はその職業の道楽化にある。職業を道楽化する方法はひとつ努力(勉強)にある。
  • 給料の四分の一は最初から天引きして貯金せよ。
  • 人生の幸福は、現在の生活程度自体よりはむしろその生活の方向が上り坂か下り坂か、上を向くかで決定されるものである。つまり、人の幸福は、出発点の高下によるものでなく、出発後の方向のいかんによるものだ。

 

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娘と孫2人が来訪して遊ぶ。

8月21日・22日の深呼吸学部の修学旅行のオプション企画の調整。

デメケン。力丸。深呼吸学部。

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「名言との対話」8月8日。長谷川周重「人生は一生挑戦の連続である」

長谷川周重(はせがわ のりしげ、 1907年8月8日 - 1998年1月3日)は、日本実業家

熊本出身。金沢に移る。一中、四修で一高、東京帝大法学部で学ぶ。住友合資に入社、のち住友化学に移る。営手腕をふるり、1965年社長、のち会長。財界活動も積極的で、1974年に、経団連副会長。日経連理事。1981年日米経済協議会代表世話人になる。

長谷川周重「大いなる摂理」(IPEC)を読んだ。

一高で法学者の田中耕太郎からキリスト教カトリックの「信「望」「愛」の教えを学び深く影響を受けて、後に洗礼を受ける。東大では実利の学問である経済ではなく、正義の学問である法律を学ぶ。役人を忌避し、民間の「信用を重んじ、確実を旨とし、浮利に走り軽進しない」「常に国家を念頭に置く」とする住友に入る。

父の友人である西田幾多郎鈴木大拙、そして妻の父でもある安宅弥一が身近にいて薫陶を受けている。西田、大拙、安宅という親友たちに接したことで、大きな影響を受けたことは想像に難くない。

長谷川は事業経営にあたって、「人間とはなにか、人間はいかに生きるべきか、人生で価値あるものはなにか」を考えていた。人の三井、組織の三菱に対して、「結束の住友」の中心で活躍した。

本人が「あとがき」で述懐しているように、明治の終りに生を受け、大正デモクラシー軍国主義大東亜戦争、敗戦。復興、高度成長、オイルショック、経済大国へと時勢の変遷の中に生きた生涯であった。長谷川の世代のアップダウンはやはり凄まじい。

この自伝には書かれていないことがあると感じた。清水一行『小説 財界』を数年前に読んだことがある。1960年に大阪商工会議所会頭のポストをめぐる大商南北戦争と呼ばれた騒動を題材とした小説である。大阪商工会議所の次期会頭最有力候補の死によって風雲急を告げる会頭選。現会頭は、四期にわたる長期政権の間に会議所を私物化していく。五選を狙う現会頭と人事一新を画策する反対派の熾烈な選挙戦が繰り広げられる。権力闘争の実状を迫真の描写で描いた傑作だ。老人の最後の欲「名誉欲」をモチーフに財界トップの座に執着する執念の闘いの表と裏が生々しく描かれている。

この小説の中で東京の財界で活躍し、長期政権に挑む人物もモデルが長谷川周重だ。現会頭を擁護する相手も「住友」の日向方斎だった。結果的には中立的な人物が会頭になるのだが、実は長谷川と日向は住友合資の同期生だった。二人は若い頃から、最後までずっとライバルだったのだ。

このドラマについては、自伝『大いなる摂理』では触れられていない。伝記作家・児島直記の「他伝信ずべからず 自伝信ずべからうず」という厳しい名言を思いだした。

いずれにしても、長谷川周重という人物は「大いなる摂理」に動かされて、「いくつになっても、現状に甘んじることなく、さらなる未来に向かって前進していかなければならないと思う」という信条そのととおりに生きたのだろう、

 

大いなる摂理