第2回地域未来フェスを開催。21名ほどの方々が全国から参集。今回は「好きな町、好きな食べ物」がテーマ。司会は岡山の松本さん。
- 全体:垣内「道東スイーツ:ウトロのチーズケーキ。屈斜路のジェラ―ト。帯広の大平原」。渡辺「山形の芋煮」。都築「横浜市旭区:畠山重忠の鬼塚・ズーラシア」。大熊「香川県高松市のさぬきうどんのたも屋」。今西「京都府亀岡のマツタケ」。伊藤「愛知県常滑のメジロの干物」。雨坪「岡山県倉敷市の桃」。鈴木「大阪の芭蕉。釣鐘まんじゅう、バナナ飴」。岩井「愛知県安城市のイチジク・トマト」。小林「東京都立川市のソフトクリームと豚肉」。窪「秋田県羽後町の西馬音内そば。かまたち美術館(土方)」。吉池「京都府宮津の魚」。田原「マレーシア:クアラルンプール・ペナン」。久恒「大分県中津市の鱧」。楯岡「東京都原宿:緑の多さと優れた公共施設」。前川「北海道十勝根室のジンギスカン」。山中「滋賀県近江八幡市のラポリーナ(藤森昭信)・草屋根)。松本「広島県三原市のキシメン」。橘川「東京都四谷:わかばの鯛焼き」。
- ブレークアウトルーム:私は九州(田原・吉池)と本州で会話(マツタケ・イチジク・青鬼赤鬼)
- 全体:九州代表で発表「県民性」
以下、発表者の資料。


















中津の瑠璃京の鱧御前
10品目:鱧肝和え・鱧刺身・鱧湯引・鱧土瓶蒸し・米茄子と鱧の揚げ物・鱧しゅうまい・鱧サラダ風・鱧しゃぶしゃぶ・鱧お茶漬・デザート。
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「名言との対話」8月7日。マタ・ハリ「わたしが求めていたのは幸福などではなく、フランス人が本当の人生と呼ぶものなの」
マタ・ハリ(Mata Hari)ことマルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ(Margaretha Geertruida Zelle、1876年8月7日 - 1917年10月15日)は、フランスのパリを中心に活躍したオランダのダンサー。
第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランス軍に捕らえられ、有罪判決を受けて処刑された。女スパイの代名詞的存在として知られる。
オランダ」・アムステルダム出身。富裕な家に生まれるが、父の破産と両親の離婚、そして学校の学長のセクハラで追われる。
19歳、結婚相手募集の新聞広告に応募し、21歳年長のオランダ軍将校と結婚し、ボルネオ、アウマトラ、ジャワで暮らす。
1902年に離婚し、オランダに戻り、パリに渡る。オリエンタル・スタイルの踊りで人気を得て、「マタ・ハリ」(太陽を意味する)の芸名でミラノ・スカラ座での公演を果たすまでになった。
高級娼婦ともなったマタ・ハリは、フランス軍将校とドイツ人将校と関係を持ち、二重スパイとなったとされ、1917年に銃殺刑に処せられる。
数奇な運命のこのマタ・ハリは映画や小説で取り上げられている。清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女で、日本人となり、諜報工作にあたった川島芳子は「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれている。それほど、マタ・ハリは世界的に有名だった。
パウロ・コエーリョ著・木下真穂訳『ザ・スパイ』(角川文庫)を読んだ。
女スパイの代名詞となったマタ・ハリであるが、容疑そのものは疑わしいようだ。この本では、マタ・ハリ自身が主人公として自分を語るという仕掛けになっている。激変する時代の中で、男たちと戦争に翻弄された女性である。この本の著者はマタ・ハリに以下の様に独白させている。
・わたしの最大の罪は、男たちが動かしている世界にあって自由で自立した女だったということでしょう。
・わたしは時代を間違えて生まれてきたのです。
・わたしには一瞬一瞬が新しい発見のですもの。それこそが人生の楽しみというもの。
・わたしが求めていたのは幸福などではなく、フランス人が本当の人生と呼ぶものなの。
両親からもらったマルガリータ・ゼレ、結婚後のマクラウド夫人、芸名のマタ・ハリ、そしてドイツスパイのH21号と名前が変わる。紹介した「わたし」の独白の通りなら、平穏な幸福は手に入らないことは明らかだ。マタ・ハリは「本当の楽しみ」のある、フランス人が好むドラマチックな「本当の人生」を生きたのであろう。