久恒啓一「図解塾」第2期レポートを刊行ー日本文化、新聞(政治、経済、選挙)、世界を知る力。

アマゾンKDPで久恒啓一「図解塾」第2期レポートを刊行しました。

2期(2021年1月ー10月)は201ページの大作です。1期(2020年9月ー12月)は84ページでした。いずれもZOOM時代の幕開けとなった「コロナ禍」の活動をまとめた作品です。

「課外授業」は「続ける技術」の10回分を収録。

自分出版社「恒久舎」のロゴをはじめてつけた本です。試し読みもできます。

はじめに。

「図解塾」第2期は、コロナ禍が襲う中で、私たちが手にしたZoomという新しい共通の武器を縦横につかって、実施することができました。

第1期は入門編的な位置づけでしたが、第2期は実践的な内容になりました。

知っているようで実は知らなかった日本文化をテーマとした演習も数回行い、日本の歴史や基盤を確認できたという収穫がありました。

また、新首相の就任演説や、東京都議選の各政党の公約をテーマとしたホットな話題を、各々が図解し、塾生たちで議論をすることで、日本の課題が浮かびあがる経験をしたと思います。

そして東京MXテレビの「寺島実郎の世界を知る力」を題材に、世界の動きの中で、現在の日本を考えるという講義や議論の場を持つこともできました。

非常に中身の濃い時間と空間をZoomの中で創出できたという感慨をもっています。コロナ禍がなければ、Zoomという新しい共通の技術がなければ、こういった高みには到達できなかったことは明確です。そういう意味で、私たちの試みは成功しつつあると考えています。

「図解塾」では、「図解コミュニケーション」の理論を学び、その技術を身につけることを目標にしています。図解の面白さは、この過程で、テーマとして取り上げた分野についての理解が急速に深まり、それ以降、高いアンテナが立つことです。塾生たちは知識を受け身で学ぶのではなく、自分の手を使って、自分自身の頭を振り絞って、理解できたところを図解しようとするプロセスの中で、ごく自然に自分の考えができあがるという体験をしています。そしてその過程で、男女、年齢、地域の多様な塾生たち同士の豊かなコミュニケーションの場が創出されています。

こういった演習の場は、新型コロナウイルスが私たちを襲う以前には考えられなかったことです。ポストコロナ社会に立ち向かうヒントがここにあると私は感じています。

第1期のレポートは塾長の私が編集しましたが、第2期は垣内武さんと鈴木章子さんが、忙しい本業の合間を縫って、編集にあたってくれました。結果的に詳細で大部の、そして臨場感あふれる実況型のレポートができあがりました。この過程では苦労も多かったと思いますが、お二人は、まとめるという作業にもっとも大きな学びがあることに気づかれたのではないでしょうか。

 「図解塾」は2022年8月の現在もプロジェクト型の内容で進行中です。そして第2期の「課外授業」から生まれた「幸福塾」も新たな地平を切り拓きながら進みつつあり、こちらも豊かな実りを予感させてくれています。

2022年8月  「図解塾」塾長 久恒啓一

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立川で体調を整える。

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夜は深呼吸寄席。

第1部:久米さん、橘川さんの定例報告。大原美術館リコリス。自在遊求社・大人の学び道楽(毎日・毎週・毎月・毎年で100冊)。Otyken(シベリア少数民族)。滑川クラファン(英語)。人物研究(小谷正一・下中弥三郎・坂本正治市村清。カルロス・カスタネダ。保田與十重郎。橘川:岩谷宏。SUZU。スポーツの歴史。林雄二郎。テロリストの歴史。大島浩。江戸時代。図書館の歴史。埴谷雄高。足立原貫。赤田祐一ポルポト)。音楽とアニメ。

第2部:深呼吸学部と図解塾の合体構想の発表。図解塾の今までとこれから。10月からは「図解で学ぶ梅棹忠夫文明学」をテーマとした講義を始めることをPR。

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「名言との対話」4月7日。羽仁もと子「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る」

羽仁 もと子(はに もとこ、1873年9月8日 - 1957年4月7日)は、日本における女性初のジャーナリスト。享年84。

青森県八戸市出身。東京府立第一高女。明治女学校高等科。キリスト教無協会。郷里で教員など、結婚、離婚。

1897年上京し報知社で日本初めての女性記者となった。1901年、同僚の羽仁吉一と結婚。1903年以降、「家庭之友」「婦人之友」「子供之友」を発刊。1921年、目白に自由学園を創立。1925年、東久留米に移転。1930年、婦人之友「全国友之会」を設立。

婦人之友」「家庭之友」などの雑誌を出して、家庭や仕事において女性がどのように生活しらたいいか、その智恵を啓蒙し普及させた。子供の頃「きわめて聡明で、きわめて不器用な子供だった」ため、自身の家庭生活を切り盛りするための智恵を取材という形で聞きまわって、その成果を記事として書いたのである。

もと子は「家計簿」」の発明者である。2005年版の家計簿には「けむりのように消えてしまう おカネの足あとが つかめます。この家計簿をつけると 暮らしの予算が立てられ 明日がみえてきます」と書いてあった。不器用だったことが、家庭生活に関わる雑誌の刊行や、家計簿の発明に向かわせたのではないだろうか。

自由学園は、「画一的な詰め込み教育でなく、子供自身から勉強態度を引き出す教育」「雇い人のいない自治自労の生活」を目指し、1921年に創立し、発展を続け、日下公人、水木楊などユニークなど材を輩出している。

夫の羽仁吉一は1880年5月1日 - 1955年10月26日)は、日本のジャーナリストで、教育者。羽仁説子1903年4月2日 - 1987年7月10日)は、日本の教育評論家。説子の夫の羽仁五郎(1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、後のマルクス主義者であり一世を風靡した羽仁五郎だ。私は大学時代「都市の論理」という著作に親しんだことがある。卒業後、「知的生産の技術」研究会の講師としてお呼びして謦咳に接したことがある。息子の羽仁進(1928年10月10日生)は、映画監督。妻の左幸子(1930年6月29日 - 2001年11月7日)は、女優。その子どもは1964年生れのジャーナリスト・羽仁未央である。時代の先駆者として啓蒙的な人々が多いのが羽仁家の特徴のようである。こうやって羽仁家が生んだ個性あふれる人物を眺めると、血と遺伝子の存在を信ぜざるを得ない。

2006年に「羽にもと子記念館・八戸友の会」という看板がかかった家を訪問した。八戸自動車道の終点の近くにある。静かなたたずまいのその家の門を過ぎて中に入ると、奥から女性の声が聞こえる。何かを人に説明している様子である。

まず目に入ったのは、「思想しつつ  生活しつつ  祈りつつ」という羽にもと子のつくった自由学園の校訓である。自由学園の名は何度か耳にしたことがある。日経新聞の大物記者を辞めて独特の未来小説などを描いてた水木楊や、長銀やソフト経済センターなどで鳴らし多摩大学教授をつとめてユニークな文明観や歴史観で楽しませてくれる日下公人などがこの学校の卒業生であると聞いている。学園出身の友人がいるが、人柄も型にはまらない印象を持っている。また大学教育学会の大会を「総合学習」をテーマとして宮城大学で開いたとき、自由学園の教師の発言内容に感銘を受けたことがある。

羽仁もと子の生活信条「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る」は、明快でよどみがない。それを毎日繰り返しながら、迷いなく日々の務めを誠実に果たしていこうとする態度である。かくありたいものだ。