三浦朱門『だから男は旅に出る』(Audible)ーー妻の曽野綾子と世界中の旅の記録を中心とした名エッセイ集。

Audibleで三浦朱門『だから男は旅に出る』を聴く。

「思えばこの人生、旅によってどんなに輝きを増したことだろう。人生も旅も、何事が起きるかわからない…。驚き・冷や汗・大笑い、ある時は妻を忘れて走り出し…。作家が初めて明かす、ロマンとスリルにあふれた旅行実録」。

第1部 トランクの中身(トランクの中身;妻知らず ほか)
第2部 冒険旅行(冒険旅行;果たせなかった夢 ほか)
第3部 裸の実力(裸の実力;古き良き時代の旅 ほか)
第4部 光あるうちに歩め(飛行機に乗ったら席がない;光あるうちに歩め ほか)

夫婦だから当然だが、妻の曽野綾子がよく出てくる。完璧主義者の様子。度胸の良さ。たまの愚痴。荷造りの名人。、、、、。5歳年下の曽野綾子ともに保守の論客だ。そしてどちらも文化功労者。この夫婦はよく旅に出ている。世界中を歩き回っているのに感心した。

朱門はキリスト教聖人のシモンから採っている。曽野綾子はマリア・エリザベート。「芥川の再来」「第三の新人」。日大芸術学部教授。女子短大学長。文化庁長官。学士院院長。文化功労者。この人は何でもできる人だったようだ。本は読んだことはなかったが、ようやくエッセイ集で人となりがわかった。

ーーーーーーーーーーーーー

・水曜日の「幸福塾」の準備。「自分になる」「晩年」「新面目」「人のため」「進歩」

・京都の人物記念館を探す。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日のヒント

東京新聞「筆洗」(2022年3月28日)

小川洋子「ビールを飲んでいい気分の父、裁縫をする母、田淵がホームランを打つように神棚に手を合わせる弟と私。そしてラジオから流れる、野球の実況放送。それが私にとっての、幸福の記憶だ」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」3月29日。羽仁五郎「自分の国だから我々は日本を批判するのだ。批判するのはよりよい日本をつくるためなのだ。批判の無いところに未来はない」

羽仁 五郎(はに ごろう、1901年明治34年3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本歴史家マルクス主義歴史学歴史哲学現代史)。参議院議員日本学術会議議員。

群馬県桐生市生れ。東大帝大法学部入学、3か月後にハイデルベルク大でH.リッケルトに学ぶ。帰国後、文学部国史学科に再入学。1926年に羽仁説子と結婚。卒業後、1928年日大教授となり、三木清マルクス主義理論雑誌「新興科学の旗の下に」を創刊。1929年プロレタリア科学研究所の創設に参加。1933年と1945年の2度にわたって検挙された。戦後の1947年から1956年まで参議院議員をつとめた。1968年に刊行した代表作『都市の論理』は、大学紛争時代の学生たちに大きな影響を与えた。

自由学園創立者羽仁もと子の長女・説子は教育者だが、結婚した相手の森五郎が後のマルクス主義者であり一世を風靡した羽仁五郎であった。その夫婦の子供は映画監督の羽仁進であり、その子供が1964年生れのジャーナリスト・羽仁未央である。時代の先駆者として啓蒙的な人々が多いのが羽仁家の特徴である。

「『愛国心という言葉は悪党の最後の隠れ家』とは英国の哲学者の名言だが、『法と秩序』は腐敗政治家が人民の批判を非合法視するときの常用句だ。法と秩序と言い、法治国家と言うが、その実態は警察国家なのだ」

「言論の責任を取ることになってくれば、言論の自由なんていうものは保証できないんですよ」

私は大学時代、はやりだった『都市の論理』というぶ厚い羽仁五郎の著作に親しんだことがあるが、よくわからなかった。この本に触れたことで、都市問題研究会をつくろうと思い、「都市研」と呼ぼうと考えたが実現はしなかった。もし「やっていたら、どうなっただろうと空想することもある。

大学卒業後、私は30代の初めに「知的生産の技術」研究会に入会しスタッフになった。直後の会議で、羽仁五郎の名前を出したら、お前が電話をしろということになった。ご本人が電話口に出たのには驚いたが、趣旨の説明と最後に講師料の交渉も行った。「最近はタクシー代も高くなってのう」といわれ、少しアップしたのだ。講演の当日はたしか司会もした記憶がある。この大物との交渉で度胸がついた気がする。私にとっての初陣だったのでよく覚えている。

冒頭の言葉には、「無批判に日本の良さなどと言うのはナルシズムだ。鏡の中の自分の顔をながめていい気分になっているような馬鹿と同じだ」が続く。組織も同じだ。人も同じだ。自己満足をやめよ、自己に厳しくあれ。それが羽仁五郎の主張である。ナルシズムとはうぬぼれのことだろう。

「うぬぼれ・自信・謙虚・卑屈」という4つの態度の段階がある。うぬぼれ・ナルシズムはやめよ、卑屈になるな。われとわれわれがとるべき態度は、自信と謙虚の間にあるのではないか。