「知研」読書会の4回目ーー幕末から明治が対象の本が中心

「知研」読書会の4回目。今回も興味深かった。幕末から明治にかけての人物が書いた、あるいはそういった人物が対象となった本が選書されていた。「空」「色」に関する本は「日本」がテーマだ。もう一つは英国の「時間」の本。対象となった人物は、緒方洪庵(17歳からオランダ語を始める。フーフェランドの本を33歳から52歳まで20年かけて30冊の和訳に。ライフワーク。完成2年後に死去)、フーフェランド(ドイツ・ベルリン大学教授)ラフカディオ・ハーン小泉八雲)、菊池寛

発表を聴きながら、私は福沢諭吉、長与専斎、大宅壮一、小泉凡、渡辺京二らを思い浮かべていた。

初めて知った著者。

  • 田淵久美子:1959年生。脚本家。NH連続テレビ小説「さくら」で橋田賞NHK大河「篤姫」「江」の脚本。この人はテレビでインタビューをみたことがある。
  • 梅渓昇:1921年生。歴史学者。日本近代史・軍事史。京大卒。大阪大学教授。
  • オリバー・パークマン:英国ガーディアンの記者から出発した人気ライター。
  • 高橋健司:『空の名前』『雲の名前』を注文。短歌や俳句を詠む人には役立つ。
  • 近江源太郎/ネイチャープロ編集室『色の名前』を注文。

私の紹介した『主婦の友』創刊号関係の人物では、創業者の石川武美。新渡戸稲造、海老名弾正、安部磯雄内村鑑三

以下、参加者の学び。

  • 本日(10月28日(金))20:00~21:30に第4回読書会「素敵な本を紹介しよう」を行いました。今日の発表者は6名で、次のような本が紹介されました。
(1)高橋健司『空の名前』と近江源太郎/ネイチャープロ編集室『色の名前』
 2冊とも、日本人が自然の変化に対して細やかな感性と言葉をもっているかということを美しい写真とともに深く感じさせてくれます。『空の名前』はいろいろな雲の名前、雨の名前、風景の名前。『色の名前』は文字通りいろいろな色の名前ですが紫色系統でも藤色、菖蒲色、杜若色など微妙な違いを細かく表現しています。
(2) 田渕久美子『ヘルンとセツ』
  ヘルンはラフカディオ・ハーン小泉八雲)、セツはハーンの妻。2人の出会いと文学作品に結実するまでを描いた。松江や出雲のことを知るのにもよい本。
(3) オリバー・パークマン『限りある時間の使い方』
 全米でもベストセラーになった。気が付いてみると私たちはいつも時間に追われているような感じをもって生きている。効率化も逆効果。「時間がある」という前提を疑い有限だということを見つめることが大切。
(4) 梅渓昇『緒方洪庵適塾
 近代日本の牽引役となった多くの人材を輩出した適塾緒方洪庵は医者だったが、分野にこだわらずオランダ語を勉強する若者が集まった。その基礎には漢学があった。また、緒方洪庵はフーフェランドの医学書オランダ語訳版を20年かかって30冊に和訳している。
(5) 菊池寛『大衆明治史』
 文学者の菊池寛による歴史の本。「大衆」というのは「大衆の視線」または「大衆のための」という意味と考えられる。
(6) 創刊時の雑誌『主婦之友』。
 1917年に創刊された。新渡戸稲造、海老名弾正などそうそうたる人たちが寄稿している。また、「夫を何と呼ぶか」という調査や、懸賞付きの「主婦の座右の銘」の募集などアイディアに富んだ内容であった。1つの雑誌が100年以上続いていることはすごいことである。
 たまたま、幕末から明治の人たちの生き様を改めて知ることができる本が何冊か紹介され、共通にもっていた心意気のようなものを感じることができました。
 今後も、同じような形で月に1回のペースで続けていきたいと思います。
  • 都築さん、知研のみなさま、読書会「素敵な本を紹介しよう」第4回目に参加させていただき、ありがとうございました。日本人の細やかな感性が感じられる「空の名前」や「色の名前」、小泉八雲の松江での暮らしが書かれた「ヘルンとセツ」、「緒方洪庵適塾」、菊池寛の「大衆明治史」、「主婦之友」創刊号など、日本人や幕末・明治の頃の日本に関する本の紹介が並び、興味深く伺いました。さらに当時と現在の日本の状況の比較や、今後の行く末など、考えさせられることの多い内容でした。 私はオリバー・バークマン著「限りある時間の使い方」という本を紹介させて頂きました。タイムマネジメントの本というと、時間を有効に使う方法などが書かれている本が多いですが、本書は、時間を効率的に使い生産性をあげようとすると、ますます多忙となり、達成感や満足感よりも焦燥感や不安の方が大きくなってしまうというパラドックスが存在する、という点に注目していて面白いと感じました。生きている時間を週に換算すると4000週間(日本人だと5000週間くらい?)。パラドックスに陥らないためには、どうすればよいか、といったことが著者の意見として書かれています。また、「時間」に関する様々な見方や考え方が、先人の言葉も交えながら語られていて、面白く読みました。
  • 本日も、皆様から本を紹介頂き、大いに視野が拡がりました。深谷さんのご紹介の「限りある時間の使い方」の読書という「個人的な時間」を、読書会という共同の場で「時間の共有」が出来ました。私は文豪の菊池寛著作「大衆明治史」に登場する明治維新と日本の近代化を成し遂げた先人のスケールの大きさを紹介させて頂きました。松本さんご紹介の「緒方洪庵適塾」で明治維新の原動力となった人材を輩出した状況が判り、明治維新と繋がりました。読書会という「時間の共有」のお陰です。都築様、司会有り難う御座いました。
  • 本日、第4回読書会「素敵な本を紹介しょう」に参加させていただきありがとうございました。普段読んだことのない本に触れる機会があり良かったです。特に幕末から明治維新にかけての理解が深まりました。「ヘルンとセツ」の本の紹介を聞いて、小泉八雲が、日本に帰化し、日本人以上に日本人らしく過ごし、小説家としても大成した背景に妻のセツの存在があったことを考えさせられました。 この本を読むことで松江や出雲のことを知る上でも、ガイドマップを読むより、参考になると思いました。私は、梅渓昇が書いた「緒方洪庵適塾」を紹介させていただきました。この本で特に印象に残った内容は、フーフェランドの著書(オランダ訳書)を緒方洪庵が、漢学をしっかり学び、17歳からオランダ語を始めて33歳から52歳(亡くなる2年前)の約20年かかって「扶氏経験遺訓」全30卷を全て訳して出版したことです。「自分のためでなく人のために生活することが医業の本当の姿である」など洪庵がさらに全30巻を12ヵ条に要約し、門下生に教えたことが素晴らしいと思いました。二年間の適塾の門下生は600人に上り、オランダ語の辞書が適塾に1冊しかなかったことにも驚きました。幕末に、海外の情報が少ないけれども、勉学への意気込みを感じました。菊池寛の大衆明治史は、廃藩置県征韓論について書かれており、本の紹介を聞いて、当時の日本人がこれからの日本について真剣に考えていたということが、よく伝わってきました。「主婦の友」の創刊号の紹介を聞いて、明治時代の主婦が「主婦の友」のような本があったら、不自由な毎日の生活であっても生活の知恵を得たり、文学に接することで心豊かな生活を送れたのではと思いました。今回の読書会は、別々の本の内容であったけれども、偶然にも、幕末から明治にかけての教育や外国語に関することなどで、話のつながりを感じました。 読書を通してのとても楽しい時間を過ごすことができ感謝しています。また次回も楽しみにしています。
     

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    「名言との対話」中沢臨川「テング、テング、テンテング、テテングー。奮え、奮え、テング!」

    中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年明治11年)10月28日 - 1920年大正9年)8月9日)は、日本文芸評論家電気工学者

    長野県中川村出身。旧制松本中学、第二高等学校、東京帝大工科大学で電気を学ぶ。卒業後は、東京電気鉄道(都電)、京浜電気鉄道京浜急行)で技師として勤務。かたわら、文芸評論、翻訳を発表する。1914年以降は『中央公論』で文芸時評蘭を担当。1916年、故郷に戻り、文芸活動を継続。小説『嵐の前』を発表。1920年、死去。

    東京帝大で電気を専攻した中川臨川は、文芸に志があったのだが、それ以外のところで面白いエピソードがあった。

    京浜電気鉄道の電気課長時代に、公共の運動場で一般人の体育を奨励しようと、この会社所有の羽田沖合の1万坪の土地を上層部にかけあって提供した。それが「羽田運動場」である。1911年にはストックホルムオリンピックの予選会が行われ、短距離の三島弥彦とマラソン金栗四三が好成績で選出された。このシーンは、NHK大河ドラマ「いだてん」で広く知れ渡った。あの運動場を提供したのが中沢臨川だった。

    この運動場では、アマチュアのスポーツが花開いた。その代表格が押川春波のスポーツ愛好社交団体「天狗倶楽部」だった。中沢はこの団体のナンバー2として活躍した。天狗倶楽部は、野球を中心に相撲、テニス、柔道、陸上、ボートなど多岐にわたる活動を行った。この倶楽部からは、野球殿堂入りが5人輩出した。プロ野球の創生にかかわった押川清、河野安通志、「学生野球の父」飛田穂州、社会人野球の瀬戸頑鉄、スポーツ評論の草分け・太田茂である。他にも「岩手野球の父」獅子内謹一郎、後楽園イーグルズ監督の山脇正治宮内省野球班を組織した泉谷祐勝、アメリカのプロ野球球団に入団した三神吾朗。まさにそうそうたるメンバーだった。日本初の学生相撲大会も開催している。メンバーリストをみると、画家の小杉放菴、政治家となった尾崎行雄らがいる。

    メンバーはそれぞれの分野の天狗だったのだ。この倶楽部のエールは「テング、テング、テンテング、テテングー。奮え、奮え、テング!」だった。この不思議なエールも、「いだてん」で見た記憶がある。

    中沢臨川は、志であった「文芸」では名をなさずに、短い生涯を送ったが、「羽田運動場」の開設と「天狗倶楽部」の運営を通じて、日本のスポーツ界に大きな貢献をしたのである。こいいう名前の残し方もあるということを知った。