寺島実郎『ダビデの星をみ見つめて』のまとめ第2弾ーー「ユダヤ・ネットワーク」を中心に。

寺島実郎ダビデの星をみ見つめて』のまとめ第2弾。「ユダヤ・ネットワーク」について、まとめました。

  • ユダヤ的思考様式の中心にある価値観の二つの柱は高付加価値主義と国際主義。
  • 高付加価値主義による高学歴。医師、弁護士、金融・投資家、学者、教育者、芸術家技術者などの高度専門職。ユダヤ人の母。
  • 国際主義は自分が住む国を相対化する視座。一次元高い視野、根本からの超越主義。
  • ユダヤ人:イエスを殺した。バビロン捕囚。ユダヤ商法の商品「女と口」。中東一神教の母体。シオニズム運動(イスラエルの地にユダヤ人の故郷を再建)。「旧約聖書」は神とユダヤ人の契約。離散。ユダヤ教は金融業を許す。ホロコーストによる犠牲は600万人以上。個人としてレジリエンス(心の耐久力)の強さ。「朝寝、朝酒、幼稚な会話、愚か者の集いに名を連ねること、これが身を亡ぼす」。
  • ユダヤ人は1510万人。うち、イスラエル620万人。アメリカ550万人。EU72 万人。イギリス38万人。
  • イスラエル:IT大国(ビッグ・テックのDX)、バイオ大国(ワクチン接種)、軍事技術大国(世界トップクラス。戦闘機、無人攻撃機、ミサイル、サーバー監視、ドローン、、)。一人当たりGDP5万2151ドル。2017年に日本を越えた。核保有国。NPTに入っていない。
  • 中東における外交はひとり勝ち。生き残りをかけた不気味な戦略性。周辺の分断と弱体化。イラクフセイン退場)、イラン(核を許さない)、UAE・バーレン・スーダン・モロッコ(国交樹立)。シリア(ゴラン高原の主権認定)、エジプト(アラブの盟主ではない)、ヨルダン。サウジとの関係改善。結果としての地政学上のパラダイム転換。アメリカの主要戦略パートナー(2014年)。アメリカの最初の自由貿易協定。カナダ、トルコ、メキシコ、コロンビア、パナマウクライナ、イギリス、韓国、EU、、。過激なタカ派・ネタニエフの復活で中東に緊張感が高まる。
  • 敵対者同士を戦わせ、自分に攻撃が及ばないようにする。主役にとりついて有利な方向にすすめる力。
  • 情報力(インテリジェンス)と知財力(先端技術力)による付加価値の創造。それを生かす戦略構想力。その中心は「ネットワーク力」。多様なつながりの中で自身の主張、目標を実現していく展開力。経済は情報優位性の確保とそのための知恵比べ。ロスチャイルド家という政商との深い関係。
  • ウクライナユダヤファクター(歴史。ゼレンスキー)。ロシアのユダヤファクター(マルクスレーニントロツキー)。
  • 日本の近現代:ロスチャイルド家と契約したジャーデン・マセソン商会による長州ファイブの留学、日露戦争関東大震災、戦後の復興への関与。「日本はヒトラーと手を組んだ」。
  • 「埋没する日本」の中で日本人の心の耐久力が試されている局面。ユダヤ・ネットワークはグローバル化時代を生きる教材である。21世紀の資本主義はユダヤ的価値の状態化の流れ。静かなるユダヤ化。構想力と戦略性を日本人が持てるかがテーマである。
  • タイトルの「ダビデの星」は正三角形に逆向きの正三角形を重ね合わせてできる星形。ユダヤ民族ユダヤ教の象徴とされ、イスラエルの国旗にも描かれる。六芒星(ヘキサグラム)といわれる形をしておりイスラエル国旗にも描かれている。

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近所の温泉。

「ぬる湯から あつ湯に翔ばん 露天風呂」

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「名言との対話」1月5日。横井小楠「堯瞬孔子の道を明らかにし、西洋器械のっ術を尽くさば。なんぞ富国に止まらん、なんぞ強兵に止まらん、大義を四海に布かんのみ」

横井 小楠(よこい しょうなん 文化6年(1809年)8月13日ーー明治2年(1869年)1月5日)は、日本武士熊本藩士)、儒学者

熊本市出身。東の佐久間象山(1811−1864)と西の横井小楠(1809−1869)と呼ばれた横井小楠は、勝海舟吉田松陰橋本左内由利公正、木戸、岩倉、森有礼坂本龍馬高杉晋作など、新時代を創った人々の先生格だった。坂本龍馬より26歳、高杉より30歳年上である。海舟は「天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだ、、、」と危惧していたが、実際の歴史はそうなった。

横井は幕府や新政府への提言が容れられるなど中央で活躍したが、地元・肥後では跳ね上がりものとして危険視されていた。最後は維新の元勲たちと並んで新政府の参与に登るが、地元では酒癖も尋常ではなくきわめて評判が悪く、記念館が建ったのはやっと昭和57年である。

2007年に横井小楠記念館を訪問した。熊本の人物記念館は入館料200円と一律であること、そしてそれぞれの館長さんがサービス精神が旺盛であることが特徴であり、気持ちがいい。「記念館も競争の時代です」は横井小楠記念館の館長さんの名言である。周到に準備された系図や人物名などの掲示物を使って、まるで講談を聞いているような説明ぶりで、よくわかった。また、茶菓のサービスもあるなど実践している。文化財保護法も改正されて、保護管理から保護活用に変化しているそうだ。

横井は幕府や新政府への提言が容れられるなど中央で活躍したが、地元・肥後では跳ね上がりものとして危険視されていた。最後は維新の元勲たちと並んで新政府の参与に登るが、記念館が建ったのはやっと昭和57年である。酒癖が悪かった小楠がつくった小楠堂の掟の中に「酒禁制の事」とあったのは愉快だった。

江戸時代の九州の私塾をみると、帆足万里の西崎精舎(大分県日出市)、広瀬淡窓の咸宜園(大分県日田市)、シーボルト鳴滝塾長崎市)、そして横井小楠の四時軒(熊本市)があった。

横井小楠の妻の姉の子供が、徳富蘇峰徳富蘆花である。父の一敬は「淇水」と号し、「維新の十傑」 のひとり横井小楠に師事した人物で、一敬・小楠の妻同士は姉妹関係にあった。東の佐久間象山(1811−1864)と西の横井小楠(1809−1869)と呼ばれた横井小楠は、勝海舟吉田松陰橋本左内由利公正、木戸、岩倉、森有礼坂本龍馬高杉晋作など、新時代を創った人々の先生格だった。坂本龍馬より26歳、高杉より30歳年上だった。

年上の北里柴三郎後藤新平の半年後に衛生局に入局し下についたが仕事は違った。「いけすかない男だ」と北里は思いった。後藤は「横文字好きの青二才」と北里を軽蔑し、北里は「浅学の田舎医者」と揶揄した。後でわかるが、後藤の面倒をみた安場安和は横井小楠の高弟であり、北里は横井の門弟から指導を受けた孫弟子である。二人は犬猿の仲だったが、後に親友となる。

「人必死の地に入れば、心必ず決す」 。選択の余地があると人は迷う。得失を頭で考えて結論が出ない。この道しかない、とハラをくくると迷いは消える。

「政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ」と小楠は言った。そして「国是三論」で富国の道を説いた。そこでは武士は商人と公僕の姿をしていた。