先日、箱根のポーラ美術館で「シン・ジャパニーズ・ペインティング」を堪能した。豪華な布陣の企画展で、日本画というジャンルの歴史を一覧できた。
- 「日本画の誕生」:橋本雅邦。川端玉章。狩野芳崖。浅井忠。
- 「明治・大正期の日本画」:菱田春草。横山大観。下村観山。
- 「日本画の革新」:小杉放菴。小野竹喬。川端龍子。岡田三郎助。岸田劉生。藤田嗣治。
- 「戦後日本画のマティエール」:松岡映丘。山本丘人。高山辰雄。東山魁夷。杉山寧。加山又造。
- 「日本の絵画の未来」:サブタイトルは「日本画を超えて」。
「日本の絵画の未来ーー日本画を超えて」では、現在の日本画家たちの絵画とともに、肉声が掲示されている。統一テーマは「あなたにとって日本画とは何か?」である。
- 荒井経:戦後の日本画は、中国画・台湾の中国画・韓国画・朝鮮画のなかの一つであったと捉え直されるべきだろう。
- 三瀬夏之介:答えはいつも風に吹かれている。
- 久松知子:「日本画」とは私にとって、最もオーガニックな芸術の姿でありながら、その固有性を常に問い直し、捉え直す必要がある対象として存在している。
- 谷保玲奈:日本画を想う、故に日本画あり。
- 吉澤舞子:日本画を立体的にすることを考えるのであれば、海外からの視座を持つことが日本画の存在感を引き立てるのではないでしょうか。
- 長谷川幾与:日本独特の「間」や「余白」は「日本画」の要素であり、日本という風土に生まれた美意識と強く結びついていると考えています。
- マコトフジムラ:9/11と3/11の様なトラウマを通しても新たに視える、アウトサイダーの私にビジョンを与えるものです。
- 野口哲哉:現実を捉え、人生を咀嚼する為に僕は日本の絵画と向かい合いたいと思っています。
- 深掘隆介:日本人がすでに持っている感覚の中に、世界を動かす新たなアートの種は落ちている。
- 山本基:私が大切にしているのはジャンルではなく、目的に対して意識を持ち続け、制作に取り組むことです。
- 半澤友美:脈々と込められきた精神性や美感などといったものは、実はとても身近で、私が自覚している以上に私の中にしっかりと鎮座しているような気がします。
- 天野喜孝:洛中洛外図を意識したワールドマップを描いたことは強く印象に残っています。
- 蔡國強:
- 山本太郎:日本画という虚構は現実によって冷却化されたのかもしれない。
- 杉本博司:私は近代以前の呼称である「大和絵」という呼び方が好きだ。、、私が競争すべき相手は現代ではなく、古代や中世、近世なのだ
- 春原直人:答えを出すのはあまりにも曖昧で、むしろそれ自体が、日本画を日本画たらしめているのではないだろうか。
- 永沢碧衣:日本画とは今昔未来の日本の風土を物語る、数多の種で構成された大樹のようなものふだと感じています。
「大和絵」から出発した「日本画」というジャンルは、「虚構」かもしれないとの疑念を持ちながら、画家たちが常に「問い直し、捉えなおす必要がある対象」だ。「今昔」の「数多の種」が「日本画を想う、故に日本画あり」という意識で成長するなかで、いずれ「未来」には「大樹」になっていく可能性がある絵画である。私は、以上の総括をしておこう。
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「名言との対話」11月20日。トルストイ「最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである」
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой [ˈlʲef nʲɪkɐˈla(j)ɪvʲɪtɕ tɐlˈstoj] ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、 19世紀ロシア文学を代表する文豪。
1865年から69年にかけて「戦争と平和」を発表、この時37歳から41歳。そして1873年から77年にかけて雑誌の連載として「アンナ・カレーニナ」を書く。この時のトルストイは40代半ばから後半にかけてだ。この小説の舞台は1874年から始まる。トルストイの生きた帝政ロシアの末期が舞台として設定されている。
「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」なはの世界的名作である。トルストイは私有財産を否定し、非戦論・非暴力を信条とした作家で、今なお世界に大きな影響を与えている。
この文豪にしてもスランプで精神が不安定な状態も長く続いている。文豪トルストイは34歳で結婚し13人の子供を設けた。その妻とは80歳を過ぎて妻と不和になり家出をしている。「幸福な家庭はすべて互いに似通ったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」(トルストイ「アンナカレーニナ」)。
健康には関心が高く、乗馬、テニスを好んだ。ピアノが上手であり、好きな作曲家はショパンだった。
トルストイは近代日本のインテリに人気が高い。歴史家・徳富蘇峰。文豪・徳富蘆花。布施辰治弁護士。高校生詩人・山田かまち。陶芸家の加藤唐九郎。武者小路実篤など白樺派の面々。また岩波文化人を育てた岩波茂雄。文芸評論の小林秀雄。、、、、。私の知ってるだけでもこのような人たちが心酔している。
少し詳しく紹介してみよう。
- 「幸福の姿は一つだが、不幸の形はさまざまだ」、とトルストイはいった。(山田風太郎『人間臨終図鑑』)
- トルストイ「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(辻信太郎『みんなのた坊の哲人訓』(株式会社サンリオ)
- 徳富蘇峰は34歳から13ヶ月の欧米漫遊ではトルストイにも会っている。日清戦争直後であり、欧米は軍国主義であった。この影響を受けて帰国後は国権主義に転向した。
- 徳富蘆花は巡礼紀行を終えてトルストイのすすめる農業生活に入る、そして最後は美的百姓で終わる。すべてが本物ではなく、真似であったというのが人生の総括だったのだろうか。1906年(39歳)にはトルストイ邸に5日間滞在し、農業生活をすすめられている。晩年のトルストイと一緒に馬車に乗った貴重な写真もある。「君は農業をして生活できないか」と助言を受けている。蘆花は「世を照らす光はこれと人知るや 翁が窓のともし火のかげ」との歌も詠んでいる。
- 1914年、舞台『復活』(トルストイ原作)が」評判をとった。須磨子の劇中歌、「カチューシャかわいや わかれのつらさ」で始まる「カチューシャの唄」が大ヒットした。
- 岩波茂雄は若いときからトルストイを尊敬していた。岩波新書創刊の辞。「、、武力日本と相並んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。、、現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。、、、躍進日本の要求する新知識を提供し、岩波文庫の古典的知識と相俟って大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。、、古今を貫く原理と東西に通ずる道念によってのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果たされるであろう。、、」
- 小林秀雄:若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。
- 武者小路実篤が新しき村東京支部にあてた葉書には「トルストイは矢張り好きです。愛しています」という記述がみえる。
- 加藤唐九郎「大家といわれる人たちは、年取るほど作品が若くなってくる。ゲーテ然り、トルストイ然り。」
2013年に映画「アンナ・カレーニナ」を観た。「戦争と平和」と並ぶトルストイの名作の映画。映画としては舞台仕立てでよく工夫されていると感心した記憶がある。
トルストイの世界的な人気は、大作の中に散りばめられた名言に共感する人が多いことも一因だろう。以下、紹介する。
・人間は、すべての可能性を自分の内に備えている。
・この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない。
・天才とは、強烈なる忍耐者のことである。
・ 日記とは自己との対話である。
・真の賢人は、いつも快活である。
・我々は刑法を活用する前に、囚人を罰する前に、こういう不幸な人間が作られていく環境そのものを絶滅するように努めねばならない。
・人生の意義を探し求めようとしない者がいるならば、その人間は生きながら死んでいるのだ。
・悔恨がないのは、前進がないからである。
トルストイの人道的で励まされる言葉には、影響を受ける人が多いことがよくわかる。それらの言葉の中で、私は「最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである」という冒頭の平凡だが、含蓄のあるこの言葉を採りたい。
確かに年頭と年末の自分を比べて、偽りなく相当の進歩があったと満足できることは、幸福感を誘う。その幸福感が薄皮を重ねるように毎年積み重なって幸福の深さを味わうことができるのだ。「真の文明人は、人生における自己の使命を、知っている人間のことである」とトルストイが言うように、使命感に裏付けられた日々の精進という幸福は最上のものだろう。