今後の生活の方針と計画を立てる。
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今日のオーディブル
山本一力「のぼりうなぎ」
2時間28分。1.25倍速で2時間。
- 作者: 山本一力
- 出版社/メーカー: ことのは出版
- 発売日: 2016/04/21
- メディア: Audible版
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山本一力の時代小説は読んだことはない。今回初めて聴いてみたが、聴きごたえがあった。細かい描写や蘊蓄があり、そして最後には希望がある。いくつか聴いてみよう。
現代小説よりも時代小説には味がある。
「名言との対話」9月18日。徳富蘆花。
- 「人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる」
- 徳冨 蘆花(1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。享年60。
- 兄徳富蘇峰と弟徳富蘆花は5才違いの兄弟であるが、蘇峰が「予は一家に於いて、恩愛の中心であるよりも、むしろ尊重の中心であり、蘆花弟は尊重の中心であるよりも、むしろ鐘愛の中心であった。」と述べているように、年齢差以上の意識の違いがあったようだ。天才と同時に問題も抱えた「難物」である弟を、兄蘇峰は冷静に、しかも愛情を持って見まもっていた。
- 瀕死の蘆花が兄徳富蘇峰と14年ぶりに面談し和解した記念館の建物が移築されている。徳富蘆花記念文学館は群馬県渋川市伊香保にある。その日の夜に蘆花は60年の生涯を閉じた。ドラマのようだ。この徳富家は、父は93歳、母は91歳、そして兄は94歳で亡くなっているから長寿の家系であろう。ただこの健次郎蘆花だけは60歳でみまかっている。
- 「彼は昔耶蘇教伝道師見習の真似をした。英語読本の教師の真似もした。新聞雑誌記者の真似もした。漁師の真似もした。今は百姓の真似をして居る。真似は到底本物で無い。彼は終に美的百姓である」。彼とは蘆花自身である。変転の多い起伏に富んだ人生をこの数行で表している。同志社での学び、兄徳富蘇峰の雑誌記者、、、。そして巡礼紀行を終えてトルストイのすすめる農業生活に入る、そして最後は美的百姓で終わる。すべてが本物ではなく、真似であったというのが人生の総括だったのだろうか。「兄貴は日本国民史を書くが、予は兄貴以上に重大なる人間の記録を書く」と野心を吐露していた。蘆花はライフワークは書いたのだろうか。
- 冒頭の「悪魔と獣」の言葉には凄みがある。書物を毎日読んでいて労働をしない学者という知的な職業は悪魔を生み出す。逆に労働のみで書物に触れずに酒とテレビで毎日を惰性的に送るならば野獣と同じだ。人間は悪魔と獣との間にある。肉体と精神のバランスをとるべきだ。労働しながら書物を読み読み続け、自分で考えよう。それが人間の証だ。