駅前のダンスイベントをひやかし、古本市をブラブラした日曜日。

快晴の日曜日。駅前を楽しみました。

子どもたちのダンスイベントを見物。両親や祖父母たちのカメラ撮影の熱心な姿がなかなかいい。

古本市をのぞく。あまりに安いので、つい買ってしまう。地元以外に、吉祥寺、船橋あたりの古本屋などが出ている。

竹内宏『「元気」の経済学』(PHP)。塩谷賛『幸田露伴 下の二』(中公文庫)。樹木希林『一切なりゆき』(文春文庫)。『巻頭随筆Ⅱ』(文春文庫)。紀田順一郎『四季芳書ー読書人の日常』(実業之日本社)。戸板康二『役者の伝説』。山口洋子『百人の男』。締めて1500円也!

朝の神社への往復と午後の駅への往復で8200歩。過去7日平均7400歩。過去26週間7600歩。2つの駅から、歩いてそれぞれ16-17分の距離。駅からある程度、遠いところが住むのが健康にいい。昨年は年平均で7400歩あたりだったから同じペース。何とか1年を通じて8000歩にまで、もっていこうとは思っているが、、。

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三國連太郎

「名言との対話」4月14日。三国連太郎「でも、名優と呼ばれたらおしまい」

三國 連太郎(1923年(大正12年)1月20日 - 2013年(平成25年)4月14日)は、俳優、映画監督。

飢餓海峡」「神々の深き欲望」など幅広いジャンルの作品に多数出演した。1988年から22年間にわたって続いた映画「釣りバカ日誌」シリーズでは鈴木社長ことスーさん役をコミカルに演じて人気を博した。

自身の著作『白い道ーー法然親鸞とその時代』が話題になり、1987年には自ら監督を務めた「親鸞・白い道」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。この本が出たとき、私の関与していた勉強会で講演の依頼をしたが、なかなかつかまらず、返事はなく断念したことを思い出す。

戦争で中国から引きあげた時に、木下恵介監督と偶然に出会い、全くの素人ながら『善魔』という作品にでることになる。若い記者「三国連太郎」役でのデビューだった。それを芸名とした。この出会いがなければ、俳優にはなっていなかったと述懐している。「人は一人では生きられない。だからこそ、人とのかかわりに人生は大きく左右されます」という言葉は本音だろう。

「役者業は、趣味と実益を一緒にしてしまった素敵な世界」であり、「役者に年齢は関係ないし、演じることが僕の生きがい」だった。人々の生活の糧になるような映画に出ることを希望しており、死ぬまで正々堂々と歩くことができれば、自分自身の中で敗北することはないという考えだった。

私生活では4度結婚している。また結婚には至らなかったが、女優・太地喜和子との熱愛、同居も話題になった。3人目の妻との間に生まれた息子の佐藤浩市は小学3年生のときに、三国は映画をつくるため家族を捨てて家を出る。テレビのインタビューで俳優となった佐藤浩市が父のことを聞かれて「ひどいよ、そりゃ」、「世間一般の親子ということでの会話はできないんです。僕と彼との間に介在したのは役者という言葉だけなんです。ですから、父親として、どうのこうのということはいま言えません」と語っていたのを見たことがある。

佐藤は19歳のときに同じ道を進むことを決意した。「そのことを告げたのは早稲田駅のホーム。三國はそうかと一言いって、電車に乗って行った」。後に『人間の約束』で息子・佐藤とワンシーンのみの初共演を果たした後、『美味しんぼ』で本格的に親子の役を演じる。『笑っていいとも』に出演した際に「佐藤浩市くんの演技がよかったです」とコメントしている。

BSで繰り返し放映されている『寅さん』シリーズの後が、『釣りバカ日誌』だったので、西田敏行三国連太郎の演技はよく見ている。釣りマニアの社長役を楽しんでいる。

三国連太郎は、役作りに徹した鬼気迫る演技を行う俳優だった。老人役の役作りのため上下の歯を10本抜いたことで、顔を腫らしたエピソードもある。役にハマりこんでしまい、他人が近づきがたい状態になることもしばしばだった。

以下、三国連太郎の俳優哲学。

  • イメージに限定されてしまうのは、役者の堕落。
  • 芸を極めたなんて、とんでもない。まだまだこれから少しづつ階段を上っていかなくては。
  • 役者というのは、挑戦する以外にない。
  • 明日の芝居を考えていると、今日の生活が役と同じになってしまうんです。
  • 「自分の才能にプライドを持つ」ということ。志を高く、誇りを持って突き進むことで、人生を実り豊かにしてくれる出会いを引き寄せて欲しいです。
  • 名匠たちの良心に応えようとして今までやってきました。
  • でも、名優と呼ばれたらおしまい。

不器用を自覚していた三国連太郎は、演じている役柄で人格が変わってしまう。芝居のことを考えていると、生活と役柄が同じになるという。不器用だからこそ、役作りに徹底するから、名優というより「怪優」とも呼ばれるにふさわしい存在になった。

 

産経新聞 ENAK 「釣りバカ日誌」20作品目 俳優、三國連太郎に聞く