今村翔吾『戦国武将を推理する』ーーー歴史小説のテーマは「現代」。

今村翔吾『戦国武将を推理する』(NK出版新書)を読了。
1984年生まれの若い直木賞作家のエッセイ本。歴史小説に立ち向かう姿勢、考え方を追った。

人物研究は自分だけのプロファイルをつくることでいいというメッセージである。人物像は真実であるかどうかは、もともと不明であり、それを推理する権利があるということだ。

この作家が人物を選ぶ場合には、現代のテーマと絡めて選択している。つまり、歴史小説は、現代を描く小説なのだ。

以下、戦国の三傑の見方。

  • 織田信長:アップル創業者のスティーブ・ジョブス大谷翔平に匹敵。織田軍団は多国籍企業に似ており、秀吉はアルバイト出身の取締役。勝家は海外事業で奮闘した重役。佐久間信盛はともに苦労した常務。信長は秀吉と双璧の仕事師であった光秀の謀反に遭遇し、存分に生きたという思いになる。燃え尽き症候群となって、このあたりでよいとして死んでいった。
  • 豊臣秀吉季節労働者契約社員。母親に認められたいという動機で無理ゲーを乗り越え、今太閤と呼ばれた田中角栄と同じように、太閤まで破格の出世をする。秀吉には師はいない。独学の学びの人だ。昭和的な家族観の持ち主で、特徴は実力主義と家族愛。豊臣政権の誕生で目標を失い。その結果、朝鮮征伐という暴挙を敢行する。最後は老いからくる焦りの中で亡くなる。
  • 徳川家康:小学2年から大学1年まで人質だった。現在でいうと、海外留学しエリート教育を受け、また他国の経営から学んだ。そのことが多面性を持つ複雑な人格を形成した。家康は自らと先人の失敗から生涯学び続け、高度なレベルでバランスよく成長し続けた人。分析の達人で常に状況を俯瞰できた。あらゆる武芸に秀でており軍才があった。また時勢と人物を見抜く目を持っていた。家康は75歳で死去するまでようやく手にした政権を盤石にするためにあらゆる手を打った。

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鈴木健二さんが95歳で老衰で3月に亡くなった。1982年に刊行した、「知的生産の技術」研究会(久恒啓一・竹内元一)編著『私の書斎活用術』(講談社)で、「孤独な空間・書斎」というタイトルの推薦文を書いてもらったことがある。

2024年は「名言との対話」で令和命日編を書いているが、その過程で同時代の多くの著名人が、コロナ禍の時代に人知れず亡くなっていることを知った。来年も、令和編を書くことができそうな気がする。

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「名言との対話」4月3日。田村正和「スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」

田村 正和(たむら まさかず、1943年昭和18年〉8月1日 - 2021年令和3年〉4月3日)は、俳優。享年77。

京都市出身。成城大卒。阪東妻三郎の3男。17歳のとき兄・田村高広主演の「旗本愚連隊」に出演。1961年に松竹大船の専属となり、木下恵介監督「永遠の人」「今年の恋」などでスターとなる。のち「眠狂四郎」などのテレビドラマや舞台で活躍した。

兄・田村高広は阪東妻三郎の長男。父の急死を機にサラリーマンから転身し「二十四の瞳」などの木下恵介作品に出演した。「兵隊やくざ」シリーズ、「泥の河」などで好演。テレビ、舞台でも活躍。

阪東妻三郎は、近代的な性格の英雄像を演じ、時代劇革新の一翼を担った。愛称、阪妻(バンツマ)。代表作は「雄呂血」「無法松の一生」などがある。

田村正和は、デビュー以降、様々なキャラクターを演じ分けている俳優だ。1970年のテレビドラマ「冬の旅」で演じて以降、二枚目役で人気があった。1972年にはテレビの「眠狂四郎」など、陰影の濃い哀愁の漂う風貌で女性ファンが多かった。1978年の「若さま侍捕物帳」以降は、軽やかで明るい役柄に挑んだ。1983年には「うちの子にかぎって、、」では三枚目役で成功している。

1990年以降はダンディな役柄と同時に幅広い役柄を演じ、テレビドラマ界では大スターとなった。1994年から10年演じ続けた刑事ドラマ「古畑任三郎」役で、刑事コロンボ風の新境地を開き、当たり役となった。

俳優は白いキャンバスであるべきとの考えを持っていた。自分から役を決めるのではなく、オファーを受けてそれを演じている。そのため、実に幅広い役柄を演じることになった珍しい俳優だ。しかも撮影、出演では、NGはなかったという完璧主義の仕事ぶりだった。

そのため、私生活は秘密主義を守っている。生活感を見せるないことにこだわり、妻は娘の存在を披露することはなく、俳優仲間とも食事を一緒にせず、トイレの姿も見られないように注意していた、という。

そういえば意外なことに、渥美清私生活を秘匿し、他者との交わりを避ける孤独な人物だったが、それは「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであった、という。同じである。

役者として白紙の状態で、どんな役でもプロとして演じようという気概を感じる人だ。日本のアランドロン、二枚目、二枚目半、三枚目、刑事コロンボ風、などさまざまの役をこなした。田村正和は作品のみで勝負するという自身の役者哲学を貫いた人だったことがわかった。