寺島実郎の「世界を知る力」ーー 日本の進むべき道「日本再生の構想ー日米関係の再設計」。

寺島実郎の「世界を知る力」の4月。

日本の進むべき道。日本再生の構想ー日米関係の再設計。

  • 岸田首相訪米:「日米同盟の最大強化」「産業協力の深化」。アロガント(傲岸な目線)とスレイビッシュ(卑屈な同調)。「日本が共にあり」「地域パートナーからグローバルパートナーへ」。自発的隷従。「日米軍の技術統制の向上」。片務性から双務性へ、世界紛争へ」
  • 何を主張すべきだったか:日米関係を創造的に進化させるべきだ。1「尖閣諸島の領有権の明確化」。米国は施政権は日本にあるとするが、領有権はあいまいにしている。2「日米の包括的経済協定(EPA)」。日米には自由貿易協定は存在しない。3「非核平和主義」。核危機にイスラエルへの苦言が必要。米国のダブルスタンダードに苦言。従順な同盟国という評価。
  • 20世紀システムの中の日米関係:20世紀はアメリカの席。柱は「国際主義」(国連・IMF・世銀)と「フォーディズム」(大量生産大量消費)。日本の20世紀は米国との並走。120年間のうち90年間は英米日英同盟・日米同盟)とのアングロサクソン同盟。前半(1902年‐1923年)の約20年日英同盟日露戦争に勝利。後半(1951年から)の70年超は日米同盟で高度成長。これを日本は成功体験と理解している。間の約30年間で太平洋戦争に敗北。これは米中連携に敗れたのだ。米国への過剰依存と過剰同調は危険。米国と中国へもバランス感覚を大事にすべきだ。
  • 21世紀システムの中で日本が進むべき道:世界秩序は米中2極でもなく、民主主義対権威主義の対立でもない。分断されたくない、自己主張したい、つまり全員参加型秩序へ向かっている。プレイヤーは国だけでなく、ビッグテックやNGOなども参加。冷戦時代の固まった頭ではなく、柔らかい頭で多次元外交を推進しなくてはならない。
  • 日本のプリンシプルは非核平主義と国際協調:日米関係を創造的にひらいていこう。1:独立後100年目の2045年までに在日米軍基地を段階的に縮小すること、地位協定の改定。専守防衛シビリアンコントロール。2:沖縄に国連アジア大洋本部などの国際機関を誘致。アジアの地域安全保障のしくみの構想の提唱。2000年に日本を除くアジアの経済力は日本の半分だった。現在は日本の7倍。2030年には10倍になる。
  • 大中華圏への考察(台湾出張報告):大中華圏の中身が変容しつつある:10年前のネットワーク型世界観。中国本土とそれを支える8000万人の在外華華人。ところが中国経済の失速(5%戦後という目標。IMFは4.6%)。習近平第3期政権の強権化路線は台湾、シンガポールが警戒し、資本と技術が入らなくなってきた。「走線」、大脱走、グレートエスケイプの動きが急だ。100万人以上が香港や中国から海外に逃げている。貧困層も南米からメキシコを通ってアメリカへ。1年で2.4万人(10年で1.5万人だった)。亡命申請は7割がOKだったが今後はどうなるか。短期ビザでもタイ(840万人+100万人)、シンガポール、マレーシア、台湾(+8万人)へ脱出。中国は異民族支配による移動などで中国からアジアへ脱出してきた。モンゴル族の元、満州族の清、そして共産中国の成立、そして今回の習近平政権への拒絶。
  • 大中華圏の中核としての台湾:第3の航空会社「スターラックス航空」の台頭。LCCではない、オールビジネスクラス・ファーストクラス並の機内サービスなど。中華航空エバ航空に次ぐ。エアバス22機を所有、日本には10路線。トランジット(乗り換え)の拠点が香港(2020年6月からの本土支配)から台北へ移動。
  • 台湾の歴史:1624年にオランダ東インド会社の支配(1661年まで)。1661年から鄭成功による明への復興を目指す時期。1683年から212年に及ぶ清朝の支配。1895年から50年間の日本の支配。
  • 台湾:96%は漢民族。75%は本省人(日本の支配以前からの本省人60%・客家⑮%)。21%は外省人(1949年以降に本土から)。4%が原住民。「台湾人」意識は6割に達している。
  • 「台湾有事」:台湾に米軍基地はない。有事には沖縄巻き込まれる。米軍の戦争に巻き込まれるという不必要なリスクをとるべきではない。明確な距離感をとるという自己主張をすべきだ。
  • 寺島実郎『21世紀未来圏 日倍関係の構想』(岩波書店)が5月18日に刊行予定。

f:id:k-hisatune:20240422064014j:image

f:id:k-hisatune:20240422064017j:image

 

  • ーーーーーーーーーーー

【評伝】オムロン立石義雄氏「企業は社会の公器」 - 産経ニュース

「名言との対話」4月21日。立石義雄「会社は創業家のものではない」

立石 義雄(たていし よしお、1939年昭和14年)11月1日 - 2傲岸)・すれいびっ集(卑屈な020年令和2年)4月21日)は、日本実業家 

大阪市出身。立石電機創業者の立石一真の3男。同志社大学を卒業し、立石電機に入社。1987年に47歳で社長。1990年、社名を「オムロン」に変更。2003年に創業家以外の人物に社長を譲り会長。2007年、京都商工会議所会頭に就任し、2020年までその職にあった。

海外展開で社業を飛躍的させた。また駅の自動改札機、銀行のATMなどを開発普及させ、オムロンの「中興の祖」と称された。

創業者の立石一真は「大企業病」という名言を生んだ名経営者である。この人が生んでその後ずっと生きている名言がある。中小企業を立ち上げた立石は50歳を過ぎてから倒産寸前の企業の売り上げを1000倍にし、世界的大企業へと飛躍させた。

盤石にみえる大企業も案外もろい。その病を大企業と名付け、それを克服していった慧眼に敬服する。私も企業にいた時に立ち向かった相手はこの病だった。一つの言葉が多くの大企業の失敗の原因を鮮やかに示し、多くの経営者や管理者に影響を与えた。義雄は「大企業病」にかかることなくさらにオムロンを高みに導いたのだ。

「ものごと“できません”というな。どうすればできるかを工夫してみること」と言う立石一真は3割のリスクは飲み込んで決断を下していく。そして「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる」と言い、障害者事業など社会貢献事業も展開していった。人のために頑張ることが自分のためになるという人生哲学である。

息子の立石義雄は、新型コロナに感染して死亡した著名人の一人だ。以下、2020年3月から2021年4月まで新型コロナで亡くなった人を挙げてみる。それ以降は、情報はなかったが、新型コロナは多くの人の命を奪った。

志村けん(享年70)はザ・ドリフターズのタレント。岡江久美子(享年63)は女優。岡本行夫(享年74)は外交評論家。高田賢三(享年81)はファッションデザイナー。羽田雄一郎(享年53)は衆議院議員小野清子(享年85)は東京五輪体操のメダリスト。

立石義雄が亡くなったのは、志村けん岡江久美子の間の2020年4月だった。3月に京都商工会議所会頭を退任した直後だったから、おおそらく、関西、京都では話題になっただろう。

立石義雄は、「人の幸せをわが喜びとする」を信条とした、快活な笑い声で誰からも愛された。社名の変更を断行し、創業家以外の人物に社長を譲っている。そして京都を代表する企業へと発展させた功績があり、「中興の祖」と呼ばれている。その偉業によって、京都商工会議所の会頭に推され、13年という長期にわたって京都のために活動した。そして退任した直後に、あの新型コロナで亡くなっている。見事な生涯であった。