正念場を迎えた万葉学者・上野誠のライフワーク宣言ーー「夢を経営する」

5月26日の日本経済新聞の文化欄に万葉学者・上野誠(64歳)さんの「夢を経営する」という論考が載っていた。ラジオで何度か肉声を聴いたことがある。

45年の歳月を使って積みあげた研究の総まとめである『万葉集』の註釈書というライフワークを完成させるという宣言だ。60代のうちに仕上げるのではないか。歴史上の大学者の列に加わろうという一大事業だ。正念場を迎えた、その壮たる意気やよし。

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  • 正念場:『万葉集』の4516首の全訳、註釈を始めた。この大事業を個人で成し遂げた人は江戸時代の契沖以降30人ほど。この列に加わろうと60歳で志した。現在、半分まできた。基本方針「従来説でダメなものはダメだとはっきり書く。自分の持っている力をすべて出し切る。わからないところは理由を添えてわからないと書く。考古学、歴史学民俗学の知見をいれて斬新な注釈書を書き残して死にたい。専門家を「なるほど!」と唸らせ、一般読者が「おもしろい!」と叫ぶ注釈書を書き上げたい。そのためには困ったら躊躇いもなく助けを求める。(方針と心構えと実践の知恵)
  • これも経営である:私は一人社員、一人社長の経営者だ。研究だけでなく、講演料、出演料もしっかり貰う。本を出すために顔を売る。この匙加減がじつに難しい。(資料収集や、交際にかかる金の算段も重要だ。研究者は実は経営者なのだ。同感だ)
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美空ひばりと石本美由起(作詞家)の写真 | 昭和ガイド
「名言との対話」5月27日。石本美由起「テーマが古くても捉え方切り口が新しければ新しい歌になる」
石本美由起(いしもと みゆき、男性、1924年2月3日ー2009年5月27日)は、日本の作詞家。
広島県大竹市出身。9ヶ月の未熟児で生まれる。小児喘息を患い、家に閉じこもりがちになり、本を読むようになった。藤村、白秋、杢太郎、八十の詩集。啄木、牧水の短歌。漱石、芥川、一葉、独歩の文学。吉川英治長谷川伸などの時代小説。そして俳句などを読み漁った。結果的に病弱であったことが、言葉を武器とする作詞家としての強みになっている。

軍隊に入るが、病気がぶりかえし、入院中に慰問に訪れた東海林太郎の歌を聴いて、歌の力の強さを知り、作詞家を志す。1948年、24歳で『長崎のザボン売り』『憧れのハワイ航路』でデビュー。その後、「ひばりのマドロスさん」、「港町13番地」、「浅草姉妹」、「悲しい酒」、「矢切の渡し」、「長良川艶歌」など、ヒット曲を連発した。

『出会い わが師わが道』(広島テレビ放送)によれば、石本美由紀は、まさに「出会い」を大切にした人であることがわかる。「すべてが縁であり、一つの出会いです」「作品作りは、いつも、人との出会いから始まるものなのです」「お互いに意欲を感じ、刺激を求め、燃焼する。そういう人との出会い」「出会いに始まり、出会いに終わる」。切磋琢磨する友とライバルの存在が作詞家石本美由紀をつくった。

レコード大賞をとった曲には、「長良川艶歌」、「矢切の渡し」、「女の旅路」がある。美空ひばりには、「ひばりのマドロスさん」、「港町十三番地」、「哀愁波止場」、「悲しい酒」、「人生一路」など約200作を提供している。

日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長、日本音楽作家協会理事長、日本作詩家協会会長、日本音楽作家団体協議会副会長などを歴任し、私的録音録画補償金制度など音楽著作権制度の整備・発展に尽力している。作詞界の大御所的存在だった。面倒見の良さでも知られ、広く後進の指導にもあたった。門下生には星野哲郎がいる。

「私たちの仕事は、総合芸術であり、パートナーが必要であり、チームワークの善し悪しによって、その成果はずいぶん左右されるのです」というように、「悲しい酒」「港町十三番地」「哀愁酒場」などを提供した美空ひばりなど天才的な歌手との出会いがある。そして「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」でデビューのきっかけをつくってくれた江口夜詩、そのライバル・古賀政男船村徹市川昭介など有能な作曲家との出会いによって、石本美由起の作詞家人生が彩られていく。

影響を受けた人物は、北原白秋ゲーテ、など。そして影響を与えた人物は、星野哲郎を始めとする作詞家群がいる。

NHK「あの人に会いたい」では、「作家一人一人の持っている目と心と表現力だと思う」と語っていた。

「私たちの創作は、無から有を生むものだと思います。自分の行動する範囲に落ちている、人生の喜怒哀楽をテーマとして探し選ぶことが大切です」と作詞の要諦を語っている。

何を見て、何を感じ、そして何を表現するか。自分が生きている時代をみつめ、巷の人々の声に耳を傾け、日本の心を感じ、それを詩に託す。石本美由紀が作詞した作品は85年の生涯で3500曲以上にのぼる。石本美由紀の作詞した歌には耳に残っているものも多い。歌にはやはり、強い力があり、そして長い命がある。

「心の詩人」石本美由起は、「テーマが古くても捉え方切り口が新しければ新しい歌になる」という。人物論でも、新しい解釈、新しい切り口で迫っていくことができれば、新しい人物論になるということだ。芸術的生産と同様に、知的生産においても同じことがいえる。