雑誌『イコール』創刊号発刊記念の未来フェスに参加。

雑誌「イコール」創刊号発刊記念の未来フェスに参加。

18名が参加、12名が発言、記事の中から一つ選んで3分で紹介するという流れ。初回なので、我々の仲間が中心だったが、この輪もしだいに広がっていくことだろう。

「好き」と「凄い」で選択。小学生、高校生の活動に感心。ちゃらんぽらん遺伝子。マンダラ。一人ミュージアム。現場と論客。ラジオネームと文章。ダ・ビンチの気持ち。生きてる人の弔辞を書く。、、。

私は「墓碑銘」というコーナーの「坂本龍一」を選んだ。以下、発言メモ。

橘川編集長:Chatgptの登場とシェア書店の流行。人間にシステムが合わせる時代になる。人間はどうするか。技術はリニアだが、人間は反省し修正する。表現する場を提供していく。

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「名言との対話」5月26日。津本陽「年齢をかぞえる前に、わが意欲を思え」

津本 陽(つもと よう、1929年昭和4年)3月23日 - 2018年平成30年)5月26日)は、日本小説家。享年89。

東北大学法学部卒。東北大では東北電力の明間輝行社長と同期。企業の購買部に12年半ほど勤務。病身の父の会社の混乱を整理するために退職し3年間を費やす。35歳、作家になろうと志す。38歳、「丘の上」が1961年上期の直木賞候補。49歳、故郷和歌山の捕鯨漁民を描いた『深重の海』で直木賞。を受賞。

最初は自分の過去を描いた小説。次は他人小説。そして剣豪小説、最後は歴史小説とテーマが変わっていく。進化であり、深化だろう。

2000年以降、2016年までの著作数を数えてみたら56冊あった。71歳から87歳まで、1年に3-4冊のペースで作品を発表し続けている。生涯で168冊だ。直木賞を受賞した49歳から86歳までの37年間に全精力を傾けた結果である。年4-5冊のペースだった。晩成の人である。

津本陽 こう生きて、こう死にたい』を2023年に読んだ。この本は、日本史の英雄に学ぶ箴言集である。津本陽は主に、戦国の武将と武士を取り上げている。信長「下天夢か」(1989年)。秀吉「夢のまた夢」(1993-1994年)。家康「乾坤の夢」(1997年)。そして宮本武蔵塚原卜伝千葉周作柳生兵庫助など剣術の達人の作品も多い。剣道3段、抜刀術5段の腕前であり、戦いの場面の描写にすぐれていた。日本刀のスピードは80分の1秒である。以下、参考になる部分。

  • 立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半(俚諺:言い伝えられた言葉)
  • 「古の武士道」の精神い立ち返る時だ。技芸を磨き上げる。死を恐れない気魂を練る。古い武士道とは100年続いた戦国時代を生き抜いた武将や武士の道。戦国三部作の主人公の信長、秀吉、家康は傑出。
  • 新たな思想や理念を見出せない。自信喪失。民族のポテンシャルが落ちている。魂が抜けたような状態。アメリカのリモコン。
  • 人間の器量:摂取の勇があるかないかで決まる。
  • ここだ。いまだ。潮時。リズム。機をつかむ。渡を越す。運気。
  • 100人の田舎の名人と、1万人の江戸の名人の違い。人に会い他人の優れたところを取り入れて自説を組み立てること。
  • 先のことが分からぬときは、おのれの運に掉さして、思い切って前へ進むことだ

津本は剣道抜刀道五段の心得を生かした迫真の剣豪小説から、しだいに歴史小説に重点を移していく。信長をテーマとした日経新聞の連載小説『下天は夢か』の単行本は、1989年も60歳のときに発刊され200万部を超える大ベストセラーになった。私も連載時は毎日楽しみに読んでいた。小説を書く上で重要なのは「自分自身の体験である」という言葉は、剣豪小説を読むと納得する。

津本陽は以下の人物とその時代を描いた。塚原卜伝柳生兵庫助千葉周作などの剣豪。秀吉、家康、信玄、謙信、政宗、利家などの戦国大名。海舟、西郷、龍馬などの幕末の英雄。始皇帝則天武后など中国の傑物。

事実とは往々にして「事実らしからぬ」ほどのドラマ性を持っているから、できるだけ事実をそのまま描き出すことだとし、膨大な資料を読み込み、小説に生かした。

2003年、74歳で書いた 『老いは生のさなかにあり』というエッセイを読んだ。鈍物を自認する家康(75歳)は経験を知恵にできる洞察力があり、大器晩成の生涯を送った。親鸞は63歳から膨大な著述を始め、75歳で『教行信証』を著すなど90歳まで続けた。毛利元就(75歳)は襲ってくる事象に対して的確に対処していくリアリストだった。北条早雲(88歳)は常に前途に希望を抱き、60歳直前という晩年に大運をつかむ。勝海舟(75歳)というマキャベリストは、時代の先を読み幕藩体制を一新し、旧幕勢力を糾合し、慶喜を補佐した生涯を送った。

彼らの晩年に花が咲いた人物の特徴は、しぶとい、晩年に最高の知恵が身につく、障害を乗り越え新境地をひらく勇気がある、冷静に自分を見る目を持つ、などだという。そして「生きているあいだ、どのように行動するかを考えている人は、おおむね死を怖れない」。宇宙のなにももかの意思によって与えられた「定命」(じょうみょう)を生き切るだけだ、と津本陽は語っている。

NHK「あの人に会いたい」をみた。人間の本音がでる激動期の人間像に迫る。ひとつのものごとに打ち込んでいく人間の心の軌跡を探っていく。節目節目で脱皮する、そこが面白い。京間の8畳で座ったままで斬られた坂本龍馬の暗殺については、抜刀術を会得した剣士の目で、一人の暗殺者の仕業だと断定している。そして「男には心に刀を持つ そういう気構えが必要」と語っている。

・完全に絶望するということは、もうそれ以上は落ちない「底」に着いたということ。つまり、本当の絶望は、壁を乗り越えるための復活の始まりでもある。

・「事実らしく見えるもの」を書くのではなく、できるだけ「事実」そのままを描き出すことだ。

「みんな死を忘れて楽しんでいます」(キダ・タローとの対談)

林真理子は津本が亡くなった時、「直木賞選考の場で頼りにしたのが津本先生。歴史・時代小説が候補になると、先生がどう考えているかをみんなが気にした」と語っている。

「年齢を重ねるとともに行動の知恵をふかめてゆき、なお高度な段階に至り、大きな収穫を得るために心を砕くのが、すぐれた人物にそなわった器量である」。老境に至ってなお、盛運のいきおいを増してゆく、老いてはじめて知恵のかがやきを発した人物が、歴史のうえに数多く名をなしているのである。それが「老境力」である。年齢をかぞえる前に、意欲をわが思え。わが志を思え。

津本陽 こう生きて、こう死にたい』の「あとがき」で、「短い人生を、何事かに全精力をうちこみ去ってゆきたい」(2000年11月)と書いていたとおり、89歳でその生涯を終えている。小説で描いた主人公たちのエキスを吸いながら、それらを総合しながら、人生の高みに登って行った人である。深い共感と尊敬の念を覚える。

 老いは生のさなかにあり (幻冬舎文庫)