「名言」をめぐる、あるプロジェクトに関与しています。私の心の琴線に触れて集めてきた言葉は、今更ですが「激励系」が多いことに気がつきました。自分自身を励ます言葉を集めきたのでしょう。「癒し系」の言葉は実に少ないのです。偏った傾向があります。「癒し系」というか、現状肯定的で、背伸びしない、そして穏やか、それでいて前向きな言葉を、自分の書いたものや、いくつかの本から探してみました。
杉村春子。羽仁もと子。宇野千代。高田好胤。尚泰王。岩田弐夫。立松和平。小出義雄。小渕恵三。猪熊弦一郎。津本陽。沢たまき。堀田善衛。望月良晃。山崎豊子。篠原三代平。加藤シズエ。柴田トヨ。三浦敬三。井伏鱒二。三鬼陽之介。土屋文明。柳田誠二郎。蟹江ぎん。塩谷信男。横田喜三郎。飯田深雪。大川ミサヲ。夏目漱石。正岡子規。芥川龍之介。与謝蕪村。松尾芭蕉。飯田蛇笏。永井荷風。高浜虚子。吉井勇。久保田万太郎。正岡子規。良寛。梅原龍三郎。茨木のり子。金子みすす。武者小路実篤。徳川家康。寺山修司。宮本武蔵。森鴎外。岸信介。豊臣秀吉。貝原益軒。小林一茶。親鸞。徳川光圀。岡本太郎。渡辺和子。佐藤一斎。宇野千代。石川達三。清沢満之。小津安二郎。中島敦。川端康成。藤本義一。阿木よう子。幸田露伴。三木清。勝海舟。福沢諭吉。草野心平。森信三。高村光太郎。石原慎太郎。能村龍太郎。吉川英治。中野重治。、、、
今までとは違う視界が開けた感があります。 テーマをもらうということはありがたいことです。アンテナが立ったので、さらに探してみましょう。
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深呼吸学部: ラジオ。図解塾。音声合成。
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「名言との対話」1月9日。西沢爽「日本近代歌謡の実証的研究」
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、日本作詩家協会会長、文学博士。
東京深川出身。1948年、伊藤久男が歌った「たそがれの夢」がヒット。1954年から日本コロムビアの専属作詞家となり、島倉千代子「からたち日記」(1958年)、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。
「、、島の娘は なじょして泣いた 恋はつらいと いうて泣いた」の「ひばりの佐渡情話」。「街のみんながふりかえる 青い夜風もふりかえる 君と僕とを ふりかえる」の「アキラのズンドコ節」(小林旭)。「花は霧島 煙草は国分 燃えてあがるは オハラハー 桜島」の「鹿児島おはら節」。「夜がまた来る 思い出つれて、、」の「さすらい」(小林旭)。「朝が来たのね さよならね」から始まる美空ひばりの「おんなの朝」。「こころで好きと叫んでも、、」で始まるの島倉千代子の「からたち日記」。「小指と小指からませて」から始まるの島倉千代子の「恋しているんだもん」。これらの曲をユーチューブで聴いてみたが、その後も、他の歌手が歌い続けている名曲も多い。美空ひばり、島倉千代子、小林旭、舟木一夫らのヒット曲など西沢爽の生涯の作品は、約2000曲にのぼる。
通産省の外郭団体で常務理事をつとめるが、1969年に50歳で退職。コロンビアも辞めてフリーとなる。1974年、55歳で休筆宣言を行い、折に触れて収集した膨大な日本の中世から近世にかけての民衆歌謡を材料に研究生活に入る。完成した『日本近歌謡の実証的研究』で1989年に70歳で國學院大學から文学博士号を授与される。
日本作詩家協会会長、日本歌謡学会常任理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任した。1971年以降、日本作詩大賞を3回受賞、1982年に紫綬褒章、日本雑学大賞、毎日出版文化賞、そして1994年は勲四等旭日小綬章、1997年に日本レコード大賞(功労賞)を受章している。
著書に「雑学歌謡昭和史」「はやり唄の女たち」「雑学東京行進曲」「近代日本歌謡史」、詩集「いのちさみしと」などがある。
西沢爽という作詞家の名前と、名曲は数多く聴いていた。また2000曲にのぼる膨大な仕事量にも驚かされるが、55歳から15年かけて、『日本近代歌謡の実証的研究』という集大成を完成させ、文学博士となったことに私は敬意を覚える。日本歌謡学会では、「ずいずいずっころばし私考」、「君と寝やろかとその背景」などの論文も発表している。文学博士となった70歳では、朝日新聞、読売新聞などに取り上げられて話題になっている。短歌の大御所らが志したように、「実作と研究」の二本立てで生活を統一しながら、実証的研究を継続していこうとした西沢爽という人物の高い志とライフワークを完成した生涯を讃えたい。