なにごとも百を超えると卒業というか入門というか、ある壁を越える、、、(百説)

全国各地をあるテーマを持って旅をしている。主に明治・大正・昭和の時代に活躍した偉人を顕彰した人物記念館を訪ねる旅である。古くは福沢諭吉後藤新平あたりから新しいところでは岡本太郎司馬遼太郎といった時代に焦点をあてている。出張や講演の折に訪ねたり、私的な旅行もなるべく記念館を含めるようにしている。この旅も2年以上経って160館を超えた。


朝倉文夫も言っているが、俳句、骨董に限らずなにごとも百を超えると卒業というか入門というか、ある壁を越えるという「百説」という考え方がある。

知的生産の分野でも、あるテーマで新聞の切抜きを百ほど集めると自分の考えがまとまる、小さな思考の断片を百集めると本が書ける、などの言葉を聞いた記憶があるが、この百説の影響だったのだろう。

この百説という考え方は、人物記念館めぐりの旅にも当てはまるような気もしている。


この人物記念館の旅では、日本という国家の品格を体現している偉人の生涯を観察するのだが、彼等の残した言葉にも大いに関心を引かれ蒐集する様になった。私自身はこの旅の中で「今日も生涯の一日なり」という福沢諭吉の言葉を発見し以後座右の銘としており、この旅とほぼ同時に始め毎日書き続けているこのブログのタイトルにもいただいている。

座右の銘を持つことは人生の基軸ができることだということを最近深く感じるようになった。


現代を生きる若い人にも、偉人たちの大いなる人生から搾り出された名言を味わってもらいたいと思う。