「中年の危機」と知的再武装

「名言との対話」 2月3日。福沢諭吉

  • 「今日も生涯の一日なり」
    • 郷里中津の偉人・福沢諭吉先生の旧居には、子供の頃から何回訪ねているだろう。豊前中津藩の下級武士の実家の土蔵の2階にある勉強部屋の5畳の部屋に木の書見台が置いてある。若き福沢はここで勉強したのだといつみても感銘を受ける。2月3日は福沢が賑やかな一生を閉じた日。戒名は大観院独立自尊居士。
    • 代表作の一つ「学問のすすめ」は初版20万部、偽版22万部として、当時の日本の人口3500万人の160人に一人が読んだという空前のベストセラーであった。この出版業の隆盛が慶應義塾の原資になった。
    • 当時「文部省は竹橋にあり 文部卿は三田にあり」と言われたという。慶應義塾の「義塾」は、公衆のための義捐の金をもって建学する学塾で学費を収めないものという意味だそうだ。福沢がつくった中津市学校(1871−1881年)は当時、西日本第一の英学校といわれたが、慶應の教授たちが教えていた。
    • 福翁自伝」の末尾には「回顧すれば六十何年、人生既往を想へば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い賑やかな夢でした」とある。
    • 私の母校・中津北高校の校歌の3番は「世界の空に輝かむ 新たに興る日本の 若き花こそわれらなれ 福沢精神受け継ぎて ああ独立自尊の 中津北高校!」だ。また曾孫の美和は昭和2年生まれで私の母と同年だったから、福沢諭吉は母のひいおじいさんという時代感覚だ。
    • 記念館の隣の諭吉茶屋で「独立自尊」「天は人の上に、、、」の書とともに、「今日も生涯の一日なり」が気に入って買った。一日一日を大切にして「賑やかな」生涯を送った福沢らしいいい言葉だと感銘を受けた。
    • 4時半起床(冬は5時半)で10時には寝る福沢が散歩党を起こすための銅鑼と打木が残っている。毎日広尾、目黒、渋谷と6キロを歩いた。福沢は身体を人間第一等の宝として鍛えていた。それを示す言葉が二つあった。「身体壮健精神活発」と「先成獣身而後養人心」である。後は、「まずじゅうしんをなしてのちじんしんをやしなう」と読む。
    • 福沢旧居には何度も訪れているが、そのときの心境や問題意識で見えるものが違う。自分と同じ年齢のときに何をしていたか、どのような心境だったか、、、、。訪れるたびに郷里の偉人を鏡として、自分の変化も意識する。2005年の正月の福沢記念館から始まった私の人物記念館の旅にはそういう楽しみ方もある。
    • 生涯という長く、しかし短い年月の限られた時間を意識しながら、一日一日、その日その日を大切に生きていきたい。