「吉野作造と日本の進路」(寺島字実郎講演会)in 吉野作造記念館

午後、大崎市古川にある吉野作造記念館で行われた講演会に行ってきた。
寺島実郎さんと仙台で会って新幹線でご一緒しいくつか報告しながら記念館へ。
記念館の館長室で田中館長、NPO「古川学人」の佐々木理事長、「吉野先生を記念する会」の伊勢会長、「吉野作造通信を発行する会」の永澤事務局長らと懇談。

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・今夏は、欧州2回、米州2回、アジア2回の旅
吉野作造空海の本を携帯し、読み、ノートをとった夏だった
・30−40冊の空海に関する本を読み、高野山大学夏季講座「現代に生きる空海」というテーマで空海を語った。空海密教伝道者であると同時にエンジニアでもあった。土木治水(井戸・溜池)、薬学、冶金工学(水銀、)プロジェクトエンジニアリング(京都の東寺、熊野の高野山)。空海は大きすぎて司馬遼太郎でさえ空海に関しては周辺の風景を描くことで空海を表そうとした。空海仏教の立体曼荼羅の極彩色の世界は宇宙と世界を表している。「もし空海が今の時代に生きていたら」というテーマを語ってみた。
鈴木大拙空海吉野作造の三者に共通するのは、外から日本を見たことだ。
鈴木大拙「独りよがりではいけない。自分を見失ってはいけない」」
武田信玄は400年前、道元はその400年前、空海は1200万年前、「風林火山」といった孫子は2500年前の人。歴史時間は圧縮される。
吉野作造「我々は常に自分の生活は大きな世界の生命のいかなる部分を担当しているかを忘れてはいけない」「大きな出来事の中の小さな咆哮としてとらえなければならない」
・全体知。インテグリティ。時代の空気、世界を読み取ろうとした。

大正デモクラシー(1905年---1925年)。1902年日英同盟、1904年日露戦争、1914年第一次大戦、1915年対支21か条の要求、1919年ベルサイユ平和条約、1921年ワシントン軍縮会議、1936年真珠湾攻撃、、。大東亜戦争の敗北の要因は、このベルサイユ平和条約(西園寺公望全権、近衛文麿中野正剛も)の時代にみることができる。大国の一翼を占める会議で日本は一等国(五大国)としてドイツの持っていた山東利権のみに関心があり、中国への橋頭堡の確保を至上命題としていた。
・吉野が中央公論等で張った論陣「新世界秩序の時代」というメッセージが日本はわからなかった。この主張は石橋湛山小日本主義へとつながっていく。
・20世紀初頭(1905年−−1925年)の、民族自決国民国家という世界史の潮流、底流が見えた吉野らもいた。アジアの目線に立っていた人もいた。
・21世紀初頭の今は、時代状況が似ている。敗戦に向かった流れを繰り返していけないという問題意識を持っている。
・つまずきは、勝利体験の中にきっかけがある
東条英機の遺書に「真の敗因は東亜諸国の真の支援が得られなかったことに尽きる」という言葉がある。現在の日本も同じではないか。
アングロサクソン同盟の死守こそ日本の生きる道だという論客もいるが、世界はアメリカだけで動いているのではない。吉野の外から日本を見る目線で21世紀の世界史のゲームを見なければならない。
・松本重治は「日米関係は米中関係である」と言った。日米中は二国間関係では終わらない。
蒋介石が敗北し毛沢東中国共産党が中国を支配したため、わずか6年で国際社会に復帰し戦後復興ができた日本は、最近まで中国の存在を忘れていた。日米同盟がなければ30年は復興は遅れていただろう。日本軍国主義は米中の連携に敗れたのだ。
・六カ国協議では、アメリカは中国と協議して東アジアの秩序をつくろうとしている。中国は北朝鮮がある方が有利と見ているから存続させようとしている。
東西ドイツは米ソの取引で統一されたように、南北朝鮮は米中関係によって変わる可能性もある。現に米民主党大統領候補の最右翼のヒラリーは「米中関係が大事だ」とのメッセージを送っている。
・「日米が連携して中国に対峙しましょう」と安部首相はアメリカで言ったが、たしなめられている。
・中国では外相など留美派(アメリカ留学組)が台頭。歴史的にアメリカは中国を敬愛しているところがある。中国は欧州諸国と比べて近代史における遅れてきた帝国主義国家・アメリカの(南北戦争で手間取っていた)主張(門戸開放、、)に好意を持った。そしてアメリカは宣教師を尾売り込んだ。アメリカにおける親中派は親日派の10倍の層を持っている。
日米安保は、アメリカから見れば片務条約であり、日本から見ればガードマン条約(中曽根元総理。駐留経費の7割を日本が負担)。日米には互いに敬愛の念はない。

9・11からの6年間で世界は変わった。アメリカの求心力の低下。ロシアのエネルギー帝国主義(石油価格3.5倍)、中国の台頭(GDP75%増)、インドの存在感の上昇と上海協力機構への接近(アメリカは核保有を認めざるを得なくなった)、中東におけるシーア派の台頭(イラクシーア派シーア派国家イランとの連携の可能性)、などユーラシア大陸はアメリカの思うにまかせぬ状況となった。
・一国による支配ではおさまらない、多極どころではない、全員参加型とでも言うべき世界では、「力では解決できない」ということを意味している。
・こういった時代に、日米関係だけに腐心しているだけで乗り切れるとは思わない。
・多国間で丸テーブルを囲むというゲームになっている。この場合、筋道の通った理屈、理念性が必要になる。
・20世紀と同じ失敗をしてはいけない。

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静謐な空気の中で一心に聴き入っていた。
会場では寺島さんの著書の抽選があり(50冊)半数以上の人はあたっていた。講演料はこの図書の購入にあててもらったとのこと。

商社という企業経営を担う役員としてみる現場、常に世界を回遊する行動力、膨大な書物を読み込む力、政府関係など各種委員会(原子力委員会、中央教育審議会、連合、、、)という良質な情報源、シンクタンクのトップとしての活動、母校早稲田大学客員教授としての若者や留学生との交流、、、、。

寺島さんは秋保温泉での講演に向かい、新幹線で東京へ帰った。明日は関西という。
私は旧知の大崎市の職員や栗原のJA職員と少し歓談した後、大学へ。