「なんにもしらないことはよいことだ」(梅棹忠夫)

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の眼でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これはいちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。 (梅棹忠夫) 


生物学から生態学生態学から文明学へ脱皮を続け、2010年に亡くなった「知の巨人」梅棹忠夫先生には若い頃から「知的生産の技術」研究会のメンバーとしてその謦咳に親しく接する幸運に恵まれた。その折、直接疑問をぶつけたことを想い出す。

「先生の文章には引用がないですね」という質問には、「私はいつもオリジナルを言おうとしています。本はよく読みますが、人が言っていることを引用するためではなく、人が言っていないことをさがすために本を読んでいます」という答えであり驚いた。

「先生は歴史上の人物では誰に近いですか」という質問に対しては、「レオナルド・ダ・ヴィンチに近い」「学問一筋という言葉は私にはまったく似合わない」ともおっしゃった。万能の天才・ダ・ヴィンチと同様に、十幾つもの筋を追いかけていた。
本阿弥光悦にも近い」。書道、絵、茶道、陶芸、漆芸などの広汎な諸芸術の采配者、美のプロデューサーとしての光悦。国立民族学博物館(民博)の創設者という知のプロデューサーとして自分の役割を意識していたのだろう。

膨大で体系的な梅棹忠夫著作集、同時代のフロントランナーたちとの刺激的な会話が満載の梅棹忠夫対談集、そして独創的な梅棹忠夫著作目録などを材料に、この志の高い不世出の碩学に関する総合的な研究は今から活発に展開されるだろう。


「考える人(新潮社)の梅棹忠夫追悼特集から。

  • 1986年に65歳で失明してから1989年末までの3年間に単行本40冊が上梓された。
  • 「本を読み過ぎるとばかになる。読む本の数はなるべく減らして、その分歩いて自分の頭で考えろ」」
  • 「新しく被差別階級を日本につくろうとするのか。そういう単純労働であれば機械にやってもろうたらよろしい」
  • 最近のカメラは日時のが記載される処置は普通のことだが、このアイデアをカメラ会社に進言したのは自分である、、、。
  • 「酒はたのし、のむほどにブレーキがきかなくなり、盃を重ねる。前後不覚。」「また二日酔い。われながら愛想がつきる。夢うつつで酒をやめようと決心。、、」「昨夜の記憶はある。しかし酒はやはりやめようとおもう。酒は研究生活によくない。
  • 「情報は過去にあんんぼでもある。情報生産とは、その再編のこっちゃ」
  • 「非マルクス主義や。ちがいはわたしには「べし」がないことや」
  • 川勝平太唯物史観をトータルに否定し、冷水を浴びせたのが生態史観である。」「梅棹モデルが遊牧社会と農業社会からなり、陸地史観であるところからくる。梅棹文明モデルには「海」がない。」

この特集の中で、山本貴光さんの次の言葉に共感した。

  • 曼荼羅仏教の世界観を凝縮した図像で表したように、梅棹さんの仕事の全体もまた、世界を写し取ろうとする試みではなかったかと思う。」
  • 「マンダラの作者はこの世を去った。だが、マンダラそのものは、そうしたいと思えば、いつでも読み、写し、手を加え、さらなるリンクを施し、ますます細部を生い茂らせ、その全体を豊かにすることもできるはずだ。」
  • 「梅棹さんの著書相互のあいだに張り巡らされているリンクとそのネットワークを、さまざまに眺め、操作し、著作を閲読できるようなソフトウェアをこしらえてみたらどうか、などとつい夢想する。そこには、諸部分が相互に関連しあってひとつの全体となった真の「ウメサオマンダラ」ともいうべきものが姿を現すに違いないから。」


昼食は赤坂で、野田先生、諸橋学部長、とメディアの方と会食。
夜に、「アバウト・シュミット」という映画をDVDで観た。