「精撰 尋常小学 修身書」(八木秀次監修・小学館文庫)

戦後、「修身」という言葉は忌み嫌われてきた。軍国主義の源が修身教育であるというような風潮があり、「道徳」の時間や「ホームルーム」の時間になった。戦後授業の停止が行われた3科目のうち「日本歴史」と「地理」は復活されたが、「修身」はそのまま葬り去られた。

もともと、「修身は」論語の「修身・斉家・治国・平天下」の最初のおおもとであり、自分自身の心身を鍛えるという意味であり、どのような教育内容であったか興味があった。

今回、1904年から1941年までの37年間、つまり明治、大正、昭和の尋常小学校で使われていた国定の「修身」の教科書から精選したエピソードが満載の八木秀次監修「精撰 尋常小学 修身書」を読んだ。

日本歴史上の人物とそのエピソードを通じた日本国民として生きるための心構え、教訓などがやさしい言葉で語られていて、心の染みる内容だった。私自身も「じぶんのことはじぶんでせよ」という言葉をおばあちゃんから何度も言われた記憶があるが、それは「修身」の教科書の教えだったのだ。国民全体でそういう言葉を共有して時代があった。

「基本」という項目では、第一期「尋常小学修身書 第二学年児童用」の内容が全文紹介されている。

「おかあさんのごおんを、わすれてはなりません」「おとうさんのごおんを、わすれてはなりません」「じぶんのことはじぶんで、せねばなりません」「せんせいのおしえをきかんと、よいひとになれません」「としよりをだいじに、せねばなりません」「きょうだいは、なかよくせねばなりません」「たべものに、きをつけねばなりません」「からだを、きれいにせねばなりません」」「なにごとにも、きまりよくせねばなりあせん」「ことばづかいを、つつしまねばなりません」「やくそくしたことを、ちがえてはなりません」「ひとのあやまちは、ゆるさねばなりません」「わるいすすめに、したがってはなりません」「ともだちは、たすけあわねばなりません」「あやまちをせんように、きをつけねばなりません」「ひろいものを、じぶんのものにしてはなりません」「いきものをいじめてはなりません」「きそくにしたがわねばなりません」「てんのうへいかのごおんを、おもわねばなりません」「せけんのひとに、めいわくをかけてはなりません」

確かにどのような時代にも通底する生きるための基本だ。

この本では、修身の教科書の内容を18の項目に分けているが、分類を私自身の言葉に編集してみた。
「素心」「謙遜」「礼儀」「習慣」「立志」「勤勉」「克己」「勇気」「責任」合理」「規則」「家族」「友情」「同情」「協同」「公益」「日本人」「美しい生き方」。
これらの言葉が表す価値観が日本人としての美しい生き方である、ということだろう。

修身の教科書の特色は、歴史上の人物を挙げてその人の具体的なエピソードを用いて、そこから教訓を引き出すという構成を貫いていることだ。たとえば、本居宣長は「せいとん」という項目に出て来るのは面白い。「シタシキナカニモ礼儀あり」「困難は最良の教師」「習慣は第二の天性」「点滴、石ヲウガツ」などの「格言」も多い。どのような偉人が登場するか、以下挙げてみる。

ワシントン、松平信綱林子平加藤清正吉田松陰貝原益軒、野村望東尼、乃木大将、徳川光圀西郷隆盛、高台院、本居宣長、伴友信、伊藤東涯、細井平洲、ダゲッソー、フランクリン、渋沢栄一、ジェンナー、上杉鷹山徳川吉宗、でん子(くるめがすり創案者)、豊臣秀吉野口英世、伊藤小佐衛門、間宮林蔵、リンコルン、新井白石伊能忠敬二宮金次郎、丸山応挙、勝安芳、鹿持雅澄、コロンブス前野良沢、後光明天皇高田屋嘉兵衛木村重成板垣退助後藤新平大山巌、三宅尚斎、広瀬武夫、おつな、楠木正成、佐久間艇長、徳川家康春日局ソクラテス、渡辺登、新井白石、水夫虎吉、ナイチンゲール宮古島の人々、瓜生岩子、栗林次兵衛、毛利元就角倉了以能久親王、栗田定之丞、布田保之助、中江藤樹、岩谷九十老、山田長政、、、。

最終項の「美しい生き方」。

  • 万物の長とうまれたものは、徳をおさめ、知をいみがき、人の人たる道をつくさねばなりません。
  • かように、じぶんのおこないをつつしんで、よく、人にまじわり、そのうえ、よのため、人のために、つくすように、こころがけると、よい日本人になれます。

「一日15分、我が子、孫と声に出して読んでみませんか」と裏表紙に呼び掛けの言葉がある。これを実践することほど大事なことはないだろう。
教育の現場に立つ者にとっても必読の書である。