「浮世絵 珠玉の斎藤コレクション」(三菱一号館美術館)

  • 都内のT出版社を訪問。

ここ半年、本が一段と売れなくなっているとのこと。
推薦本とランキング本。二極化。ファン物。極端な主張をする本。ネット右翼は本を買う。仕掛け。、、、。

  • 百貨店の喫茶でP出版社の編集者と打ち合わせ。

執筆中の「図解・日本史」の細部の確認。この夏はこの本の原稿書き。
ここでも出版不況の話題。

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ついでに、三菱一号館美術館で開催中の「浮世絵 珠玉の斎藤コレクション」を観てきた。
3期に時期を分けて展覧しており、今は2期の「北斎・広重の登場―−ツーリズムの発展」。北斎の富岳三十六景、広重の東海道五十三次などを堪能する。特に、日本橋から京三条大橋までの全作品がそろっている広重の浮世絵によるミニツアーは見ごたえがあった。

この展覧会では中身よりも、斎藤文夫というコレクターに興味がある。
社団法人川崎・砂子の里資料館の館長という人物である。

この個人資料館は2012年に10周年を迎えている。
斎藤文夫は1928年生れであるから、今年85歳。この企画展でも声の出演をしている。
斎藤文夫は慶応義塾大学経済学部を卒業し、大日本精糖に入社。1958年に藤山愛一郎外務大臣の秘書になり政治の世界に入る。1963年に川崎市選出の県会議員、1981年に県会議長。1986年衆院選に出馬し初当選。中曽根派。第二次海部内閣で通産政務次官。1992年に再選。1998年に落選。

まさに政治家らしい人生の軌跡であるが、一方でこの人は浮世絵の蒐集家でもあった。
自分の選挙区の川崎の浮世絵から集め始めたというのが面白い。川崎、横浜、そして参議院議員では神奈川と選挙区が広がるにつれて充実していく。コレクター―歴は50年を超えている。

二人の師匠がいた。
コレクションを始めたきっかけとなったのは、1958年に会った丹波恒夫(1883−1971年)という貿易商だ。日本の宝である浮世絵を守り育てていきたい。目を向けなさいと勧められる。

また慶応時代に高橋誠一郎(1884−1982年)からは蒐集は創作なり」という言葉を教えてもらう。

斎藤文夫は、政治家を引退した後は、私設の資料館をつくり地元に貢献している。

斎藤は観光庁認定の観光カリスマにも選ばれている。選定理由は下記。
東海道の宿場として栄えた川崎宿の復興をめざし、川崎市の観光振興に寄与するために、私財を投じて江戸風の「川崎・砂子の里資料館」を開設した。また、地域の有志を募り二度にわたって市民の手作りによる「大川崎(宿)祭り」を成功させ、市内外に「川崎宿」の存在を知らしめ、川崎市のイメージアップに貢献している。
現在は、川崎市観光協会連合会会長として、観光不毛の街であった川崎市を「観光都市・かわさき」へと市民レベルから育てていくことに全情熱を傾けている。」