吉村昭「海も暮れきる」---自由律俳句の尾崎放哉の伝記小説

吉村昭「海も暮れきる}(講談社文庫)を読了。

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

人生最後の8か月間を小豆島で過ごした自由律俳句の尾崎放哉に関する伝記小説。
鳥取県出身の放哉は秀才で一高に入学する。同級には安倍能成小宮豊隆、藤村操、野上豊一郎、などがいて、一級上には後に面倒をかける荻原井泉水がいた。
東京帝国大学法学部に入って、酒を覚えてから生活は破たんしていく。この後の人生は酒との戦いになっていく。卒業後、東洋生命保険に入社し要職にも就くが酒で失敗する。朝鮮でも同じことが起り、日本で寺男になる。転落と漂泊の人生となるが最後に住んだのが小豆島だった。
ここでも人々の好意で何とか生活をするが、次第に体も衰弱していく。
ところが不思議なことに俳風は逆に鋭くなっていく。結局この地で200句以上を詠んでいる。

なにがたのしみで生きてゐるのかと問われて居る
咳をしてもひとり
いれものがない両手でうける
どっさり春の終りの雪ふり
はるの山のうしろからけむりが出だした

酒乞食という言葉があるが、放哉はまさにそれであったように思う。
酒癖が悪く、仕事をしくじり、夫婦も破たんし、貧窮にあえぎ、人の温情にすがって世話になることだけに気を使い、人生をすり減らしていく。
しかし、句境は深みを増して、小豆島に記念館まで建つことになった。

吉村昭らしく、綿密な取材と克明な心理描写の記述であるが、放哉を対象にしたのは不思議に思った。
吉村は20歳のあたりに肺疾患を患っていた。読書も負担がかかるので句集を読むことになった。病床で尾崎放哉に親しんだ。同じ病で死んでいった人に共感したのである。鬼気迫る心理描写は吉村の病気体験と死生観が源になったのだろう。