卒業判定・進級判定会議。一般入試二期。

「名言との対話」:2月22日。聖徳太子

  • 「和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」
    • 「日本一わかりやすい 図解日本史」(PHP研究所)という本を2014年の上梓した。このとき、近年「聖徳太子という人物はいなかった」という説が出ていると聞いて驚いたことがある。廐戸王は存在したが、それほどの政治力を発揮しておらず、聖徳太子は「日本書紀」が作り上げた人物であるという。「日本書紀」では誕生秘話、3歳、12歳、24歳、27歳、41歳での天才的な言動が記されている。最近の教科書では摂政として掲載されないことが多いのだそうだ。また「廐戸王(聖徳太子)」と掲載する教科書もある。2月22日は聖徳太子の命日。
    • 世界的経済学者・森嶋通夫の「なぜ日本は『成功』したか?」(TBSブリタニカ)では「聖徳太子は中国文化を前にして日本精神の台木の上に中国の能力を接ぎ木しようとした。天皇制・民主主義・官僚制を提案。大化の改新聖徳太子の政治理論に基礎づけられた貴族革命。思想家聖徳太子と革命家中大兄皇子の合作。日本は法治国家の道を歩む」と分析紹介されている。
    • 実在の人物でなくても、理想の人物像は確かにあったのだから、私たちは素直に彼の言葉に耳を傾けるべきだろう。「和を以って貴しとなす」は17条の憲法の第一条である。その意は集団は協調の精神を持って議論するならば、おのずから道理にかなう結論になるし、その結果どのような困難も成就することができる、ということであろう。それは1400年の歳月を経ても、真実であり続けている。

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