「正倉院 時を超える想い」。「人、神、自然ーーザ・アール・サーニ・コレクション」展。「法隆寺宝物館」。「東京都特別支援学校28回総合文化祭 舞台芸術・演劇祭」

上野の東京国立博物館・東洋館で「TMN&TOPPANミュージアムシアター」で「正倉院 時を超える想い」をみた。先月で終わった「正倉院展」を見逃がしたので、VR映像を楽しんだ。

特別展「人、神、自然ーーザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界」展。地中海から、アジア、アフリカ、中南米の工芸品117点を展示。

シェイク・ハマド・ビン・アブトラ・アール・サーニはカタールの王族。ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーアラビア語حمد بن خليفة آل ثانيラテン文字転写Hamad bin Khalifa Al Thani1952年1月1日 - )は、カタール首長1995年6月27日 - 2013年6月25日)。

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法隆寺宝物館」。東京国立博物館の敷地にこの建物があることに気がつかなかったのはうかつだった。東京の正倉院だ。設計は谷口吉生。平成11年新装オープン。
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収蔵展示物をみた後、目玉の8Kアートビューによる「聖徳太子絵伝」をみた。「絵伝」の細部が確認できるので、内容がよくわかった。

聖徳太子の「超人伝説」:太子の前世「6度の転生」。太子の母「夢に金色の僧現れる」。太子誕生「馬小屋の前で突然誕生」。太子5歳「初の女帝を予言」。太子11歳「驚異の記憶力」「空中遊泳」。太子16歳「祈りで軍勢を撃破」。太子27歳「神馬で空飛び富士山頂へ」。太子33歳「十七条の憲法を制定」。太子36歳「小野妹子を遣隋使として派遣」。太子37歳「幽体離脱で隋に渡る」。太子50歳「予告通りに逝去」。

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東京国立博物館には5つの展示館がある。

本館は帝冠様式。渡辺仁設計。平成16年「日本ギャラリー」としてリニュアル・オープン。コンドルが設計した旧本館は関東大震災で被災。

表慶館は明治の西洋館。大正天皇の皇太子時代の御成婚を祝って国民が奉献。片山東熊設計。ネオ・バロック様式関東大震災でも被害は受けなかった。明治41年竣工。

東洋館。インド・中国、エジプト、西・東南アジア、日本、朝鮮。中国美術コレクションが豊富。大谷探検隊将来品、横河(民輔)コレクション。小倉(武之助)コレクション。

平成館。現天皇の皇太子時代のご成婚を記念して計画。平成11年に開館。

法隆寺宝物館:平成11年新装オープン。モダンな建物。金銅物の菩薩などを四方八方から鑑賞できる。

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池袋の東京芸術劇場で「東京都特別支援学校28回総合文化祭 舞台芸術・演劇祭」。

息子が永福学園の参加チームのミュージカルの音楽に関係しているので帰りに寄ってみた。永福学園の「理想の友だち」の内容自体も、終了後のリーダーの発言も素晴らしかった。グランドフィナーレの先生や指導した俳優の発言も、肩どりではない心温まるものだった。終了後、息子夫婦とお茶を飲んだ。
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「名言との対話」12月15日。生方恵一「生放送だよ 人生は」

 生方 恵一(うぶかた けいいち、1933年3月25日 - 2014年12月15日)は、日本アナウンサー

群馬県前橋生まれ。早稲田大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。主として芸能番組を担当した。温かい人柄のにじむ軽妙な司会で人気があった。NHK紅白歌合戦の総合司会もつとめ、「昼のプレゼント」「のど自慢素人演芸会」「NHK歌謡ホール」などでも活躍したから、この人の姿かたちはよく知っている。

『生放送だよ 人生は』(双葉文庫)を読んだ。

「歌謡ホール」は、毎回出演歌手の中から1人「座長」を指名し、座長を中心として、毎回異なるテーマに沿った曲を、メドレーや芝居形式等の様々な形式で紹介していくという内容だ。毎回の座長を「サブちゃん」「チータ」「お千代さん」「若さま」「モリモリカップル」「あきちゃん」「サッちゃん」「さゆりママ」「タカシ苦君」「御大」と呼ぶほど親しくなっている。因みに、北島三郎水前寺清子島倉千代子五木ひろし、森進一・森昌子八代亜紀小林幸子石川さゆり細川たかし、村田英雄である。こういう風に呼べるのはやはり人柄だろう。

藤島恒夫、芦野宏雪村いずみ五月みどり工藤静香八代亜紀らは絵を描く歌手だった、ときどき自分のことを「オレ」という青江三奈、ズロースの女王・淡谷のり子、などエピソードが満載だ。シモネタも多い。

1984年の紅白での「ミソラ事件」が話題になった。トリで歌った都はるみを「ミソラ」と間違えた事件だ。その影響かどうかわからないが、1985年に退職しフリーに転身する。フリー転身後は日本テレビなどで仕事をしている。

生方めぐみの名での作詞も5つある。「あなたのふるさと」「雨があがって「お父さんの思い出」「おやじのロック」「恋のひと言」。

「形のうえでは、放送する側にいるのですが、気持ちのうえではいつも視聴者の側にいたいと思っていました」と司会の心構えを語っている生方は、消しゴムの効かない生放送は人生そのものだとする。そして逆に人生そのものが長い生放送なのだと述懐している。今回は生方恵一の名言は書物のタイトル「生放送だよ 人生は」を選んでみた。名アナウンサーも何人かこのブログで取り上げているが、彼らの活躍と時代がダブって見える点は共通している。

 

生放送だよ人生は (双葉文庫)

生放送だよ人生は (双葉文庫)