大阪市立東洋陶磁美術館。 以前から行きたかった美術館だ。
総合商社安宅産業は経営危機から1977年に伊藤忠商事に救済合併されたが、残っているのは会長だった安宅英一(1901ー1994年)がつくりあげた東洋磁器の1000点に及ぶ安宅コレクションだけである。安宅コレクションは曲折あって今は大阪市立東洋磁器美術館になっている。安宅産業を吸収合併した住友グループ21社から寄贈されたことを記念して大阪市が設立したもので、1982年に開館。中国、韓国、日本の陶磁器の展示。日本のものは浜田庄司の作品が多い。
韓国陶磁の李秉昌(イ・ビョンチャン)コレクション。李秉昌(1915-2005年)の韓国301件、中国50件。外交官として来日。東北大学で経済学博士号。協和商事の設立。1999年、375点を大阪市に寄贈。「これらの陶磁器を日本にとどめ、研究し、美術館に展示することによって、在日同胞の子孫達が祖国の文化を学び、矜持を持てるように取り計らうべきだ」。見学者からは韓国語の会話が聞こえた。「韓国陶磁の美しさを伝える文化使節」の役割を担っている。
沖正一郎コレクション。鼻煙壷壺コーナー。鼻煙壷収集家。沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年10月22日 - 2016年2月20日)は、東京商大卒。伊藤忠商事出身。1981年から1993年まで初代ファミリーマート社長を務めた。他に良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。30代から陶磁器鑑賞に凝るようになった。2008年には大阪市立東洋陶磁美術館に、コレクションの鼻煙壷1200点を寄贈。
国宝「油滴天目」茶碗。内外の油滴は釉薬の中の鉄分が結晶したもの。油滴天目の国宝はこれのみ。豊臣秀次、西本願寺、三井家、若狭酒井家、安宅産業へと所有者が移り、最後はこの美術館。油滴のきらめきが素晴らしい。
「子ども本の森 中之島」安藤忠雄の設計。2020年7月開館。テレビでみて行きたいと考えていたが、今回機会を得た。大阪市立東洋陶磁美術館の隣。予約が必要で中には入れなかった。子ども達が本を探したり、読んでいる姿をみることができた。
「大阪都」を巡る選挙間近。大阪市役所、地下鉄の車内でもポスター。
香雪美術館と国立国際美術館は休館だったのは残念。
新幹線からの富士山。
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13時から始まった「未来フェス」をスマホで聞きながら大阪中之島を動き回った。自宅に戻ってもこのイベントは続いている。中学生を含む70人の老若男女の5分間の自己主張は壮観だ。「リアル」とは何か。
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「名言との対話」10月18日。長部日出雄「あまり語られることがなかった歴史的事実に新鮮な興味を感じる人が増えてくれれば、筆者としてこんなに嬉しいことはない」
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年9月3日 - 2018年10月18日)は、日本の小説家、評論家。
青森県立弘前高等学校入卒業。1953年 - 早稲田大学文学部哲学科に入学するも中退。1957年 -に『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する。退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。1973年 の『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年 -の『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。1986年 の『見知らぬ戦場』により、第6回新田次郎文学賞を受賞。1989年 - 映画『夢の祭り』を原作・脚本・監督で製作。2002年 -の『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』により第29回大佛次郎賞・第15回和辻哲郎文化賞を受賞。紫綬褒章受章。
この作家の経歴をみると、「津軽」、「棟方志功」、「太宰治」と出身の青森に関わる土地や人物が多い。今まで縁がなかったが、『日本を支えた12人』(集英社文庫)を読んで力量に敬服した。』を読んだ。日本史上の12人を取り上げた人物伝だ。このうち、聖徳太子、行基、聖武天皇、明治天皇、都田左右吉。太宰治、小津安二郎、美智子皇后陛下の章を読んだ。いずれも切れ味のいい内容で、納得感がある。
以下、長部日出雄の説。
・聖徳太子は実在しなかったという説に反対する。憲法17条が、明治維新の五箇条の御誓文につながる。
・唐風の大友皇子と国風の大天海人皇子の戦いで、国風側が勝ち、天武天皇の時代となる。大友皇子が勝っていれば、二重言語の国となり、唐の冊封体制の一小国になっていただろう。「古事記」は大和言葉で編纂された。国文学と式年遷宮の創始者。
・奈良・東大寺の世界最大の鋳造仏である大仏建立の立役者・行基。玄奘、道昭、行基。当時の人口500万。自主的な寄進というやり方(知識)で実現させた。
・寄せた眉の間に漂う深い憂いと悲哀の色がある興福寺の阿修羅像は、聖武天皇の妻の光明皇后の肖像とみて間違いがない。
・明治天皇。5000万人。十万首の和歌。「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのがこころともがな」「むかしよりためしまれなる戦におほくの人をうしなひしかな」。明治神宮は10万の近い樹木と10万人以上の勤労奉仕で造られた。元首と象徴を兼ねた。象徴天皇制は2千年の歴史を持つ天皇制の蘇りである。
・太宰治。石原美知子という妻を得て、口述筆記の手法で小説家としての力量が増している。「津軽」と「お伽草子」が双璧。
・本居宣長と世界一の映画監督・小津安二郎は同族の家系である。「東京物語」が最高傑作。
・美智子皇后。「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。、、」「伝統と共に生きるということは、、」「国の大切な折々にこの国に皇室があって良かった、と国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたい、、」。昭和後半から平成の時代に、両陛下の存在は幸運だった。
この本を読む中で、日本の歴史の知らなかった事実の存在と独自の解釈に目を覚まされた感じがする。長部の言うとおり、私も「新鮮な興味を感じる人」の一人になった。