- 作者: 中嶌邦,日本歴史学会
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2002/02
- メディア: 単行本
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志
- 「何か天下のことをしたい」「何か、国家的の事をしなくてはならぬ」
- 「吾が天職、教員にあらず、牧師にあらず、社会改良者なり、女子教導者なり、父母の相談相手也、創業者なり。、、」
- 「我目的は吾天職を終わるにあり。吾天職は婦人を高め徳に進ませ力と知識練達を予へアイデアルホームを造らせ人情を敦し、、、、理想的社会を造るにあり」
「女子教育」という著作によって多くの賛同者を得る。そして影響力のある大物をこの事業に引き入れている。
伊藤博文、西園寺公望、大隈重信、渋沢栄一、大倉喜八郎、嘉納治五郎、伊沢修二、、、、、。
「人として、婦人として、国民として教育する。「リベラル・アーツ重視。」
津田梅子の女子英学塾、吉岡弥生の東京女子医学校、成瀬の日本女子大と同時期に女子の高等教育機関が設立されている。
前二つは小規模であったが、日本女子大は、1901年に家政、国文、」英文の3学部と付属高校という陣容で合計288名の大規模な学校として出発した。
「女子高等教育構想」という成瀬のつくった図が興味深い。中核は人格教育であった。
時に成瀬は42歳。60歳で逝去するまで、女子教育に専念した。
後継者であり同志であった麻生正蔵の履歴朗読はこの人の60年の全生涯の生き方をあますところなく語っている。
「常に唯光明を見希望を見、、暗黒を見ず絶望を見ず前路を見て退路を見ず。、、、」
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「名言との対話」3月18日。吉田兼倶。
- 「神道に書籍なし。天地をもって書籍とし、日月をもって証明となす。」
- 室町時代に吉田神社,平野神社の神官であった吉田兼倶は、両部神道や伊勢神道に対抗し、神儒仏三教混合のうえに立って、様々な教説にわかれていた神道を統合しようとし、唯一神道 (吉田神道) を大成した。吉田兼倶は3月18日に77歳で薨去。
- 自然と神は一体とされ、神と人間を結ぶのが祭祀であり、それを行うのが神社。自然、祖先など八百万の神が存在する日本の民族宗教、とされる。
- 神道を理解しようとして教典を探したことがあるが、なかなか適当なものがみつからない。この渉猟の中でこの吉田兼倶の言葉を知った。神道には書籍は必要ない。天地自然自体が大いなる書籍であり、そのことは季節の移り変わりの中で日々体感される。春、夏、秋、冬と毎日、少しづつ自然が変化するのを見ていると、この豊かな自然に神を感じる。悠久の大地と時の移り変わり、ここに神がいる。吉田兼倶のこの言葉で神道の本質を見た気がする。