久恒啓一監修・久恒啓子著「女流歌人が詠み解く! 万葉歌の世界」(日本地域社会研究所)の見本が届いた。
3月に90歳の卒寿を迎える歌人である私の母の本。
「万葉集の庶民の歌」をライフワークとして、文献研究とフィールドワークで、書いた作品。
「副学長日誌・志塾の風」170303
品川
- 大学院の滝川課長:入試状況。職員らに「青春記」を贈呈。
- 安田学部長と面談、確認。
- ホテルでJALの栢沼マネジャーと安田学部長と3人で会談。人事関係がとりあえず円満決着。
- 樋口先生から電話
武蔵境。
国際基督教大学の「湯浅八郎記念館」を訪問。詳細は別途。
「名言との対話」3月3日。正宗白鳥「私も青春のことを懐かしみ、若い人を羨むことがあるが、しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、何よりも先に煩わしい思いがする」
正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治 から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。
1935年(昭和10年)、外務省文化事業部の呼びかけに応えて島崎藤村・徳田秋声らと日本ペンクラブを設立。1943年(昭和18年)11月3日から1947年(昭和22年)2月12日まで会長(2代目)。1950年(昭和25年)文化勲章受章。1950年(昭和25年)文化勲章受章。
早稲田大学時代の白鳥は教壇に立っていた高山樗牛の誤訳を指摘するなど樗牛から「秀才」と言われていた。卒業後は読売新聞に入社し、美術・文芸・教育関係の記事を担当。妥協をゆるさぬなかなかの硬骨漢だった。
「妻から受けた感化が最も重要」だとと述べて、臨終に際してはつね夫人の身の振り方を心配している。
若い時代に戻りたいという人はいる。しかし、あの先の見えない、疾風怒濤の、迷いの多い、そして無数の選択を突きつけられた、あの時代に本当に戻りたいだろうか。煩わしい、そして怖い感じもある。それだけ世の中を渡ることは危険に満ちている。白鳥の告白に私も共感する。