川端龍子記念館---「画人生涯筆一管」

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大田区川端龍子記念館。

日本画川端龍子(1885-1966年)は酉年生まれの守り本尊である不動明王を信奉していた。また庶子として届けられたことを知り、「俺は龍の落とした子なのだ」として、30歳前から「龍子」の画号を使った。

和歌山県生まれ。10歳、東京に転居。19歳、画家を志し、白馬会洋画研究所に入会。21歳、結婚、国民新聞に入社、少女の友に挿絵を描く。28歳、国民新聞社員として渡米、ボストンで「平治物語絵巻」など日本の古美術に出会う。29歳、帰国後日本画家に転向。30歳、再興日本美術院展に入選し才能が開花、しかし異端視される。

44歳、「堅剛なる芸術の実践」を宣言し、自らの美術団体である青龍社を設立(亡くなるまで37年間運営)。1959年には文化勲章受賞と喜寿を記念して自らの設計で川端龍子記念館をつくり、1963年に開館。「自分の分身としての作品の場所」「龍子なる画人がこの世代に存在したことの証左」。

73歳、ベニス・ビエンナーレ展に「吾が持仏堂」を出品、第一次西国巡礼を始める(1960年の第三次で結願)。74歳、文化勲章。78歳、(社)青龍社記念館開館。80歳、老衰のため永眠。1991年、大田区川端龍子記念館。

「目前の刺激に動揺することなく、横路へ外れず、自己の信ずる大道を誠実をもって固く踏んでゆけるように、日常的に心の訓練を重ねる努力がなければ、この自信を高めることは出来ないであろう」

「こんな感傷的な神経衰弱的な時代が永続しては自分等にはたまらない」「うっとうしい 梅雨時の気配 日本画界の現状 芸術に黴が生える」

「繊細巧緻なる芸術に対する、堅剛なる芸術」「今日の所謂床の間芸術に画然と相対して溌剌たる画境を展開する」「堅剛なる芸術に向っての進軍である」

「井戸を掘るように、深く深くと掘り下げて行こうとするもの、一つは泉水のように、そう深くなくとも成るべく広く広く動こうとするものである。自分の場合は浅くとも庭の池のように広く広くという方向にあるのではないか」

「会場芸術」「画業ー展覧会ー時代ー観衆」「この眼福の方法による鑑賞に依って、社会と美術の接触が一層に緊密に、両者互に貢献する」

満州事変に始まる非常事態では龍子は時局を反映した愛国主義的で物語性に富んだ連作を発表した。

「一天護持」(1927年)は、「小さく凝り固まるものではない。大きく展けて、民衆の美的興味」に訴える壮大な絵だ。「会場芸術」の幕開けである。

「波切不動」(1934年)は、空海が荒波をしずめた故事に因み、不穏な日米関係を不動明王が一刀両断するというメッセージ。

水雷神」(1944年)は、特攻精神。

「花摘雲」(1940年)は、神武即位紀元2600年。軍の嘱託画家として旅したモンゴル大平原が舞台。五族協和、五道楽土の理想郷。

戦後は国民新聞につとめていた高浜虚子の縁で「ホトトギス」同人となり、俳句とスケッチの旅をする。「霊場参拝は数で構成されているから面白い」。

1951ー1954年の奥の細道紀行。

1950ー1955年の四国遍路。

1958年の西国三十三ヵ所巡り。

1961年の板東三十三観音巡礼。

以下、私がとった句。

 新緑の幾山河や熊野なる

 札所より戻り手宿の革布団

 夕立や参詣人を降り籠めて

 この路は札所への道麦の秋

 苔むせる石段ながし長命寺

 遠眼鏡覗けば神の滝しぶく

 舞台より霞める京の街を見る

 

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「名言との対話」3月4日。有島武郎「小さき者よ。不幸な而して同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れる前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」

有島 武郎(ありしま たけお、1878年明治11年)3月4日 - 1923年大正12年)6月9日)は、日本小説家。代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜みなく愛は奪ふ』がある。

札幌農学校を出て、東北帝大農科大学教授もつとめたことのある有島武郎は、「我が真生命の生まれし故郷は実に札幌なりき」と言っている。

「明日知らぬ命の際に思ふこと 色に出ずらむあじさいの花(絶筆)

「我児等よ 御空を仰げ今宵より 汝を見守る星出づ」(妻・安子追悼歌)

「書冊の形でする私の創作感想の発表は、この「著作集」のみに依ることとします。私の生活を投入するものはこの集の外にありません」(著作集刊行の言葉)

有島武郎軽井沢の別荘・浄月庵で人妻である婦人公論の記者・波多野秋子と心中して45歳で亡くなっているのだが、27歳で亡くなった妻・安子との間に設けた子らに冒頭の言葉を示している。人の世の旅を照らす灯りはなく暗い、そして遠いが、勇気を携えて恐れずに行け、その先に道がある。山より大きな猪はでないのだ。

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千葉方面の小旅行。

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