「平成時代」--年齢・寿命・未婚・給与・小遣い・外国人

 毎日書いている「名言との対話」は、今年は「平成命日編」に挑戦し、平成時代の30年間に亡くなった人物をとりあげて書いている。彼らは実は「昭和」の人である。

平成は、「昭和の戦後」の終焉の時代ではないか、という印象を持っっている。このブログで、時々「平成時代」についても記していこうと思う。

・日本人の平均年齢:1990年(平成2年)は37.6歳。2015年に46.4歳。8.8歳上昇。

・平均寿命:1990年男性75.92歳、女性81.90歳。2015年男性80.79歳、女性87.05歳。5年ほど伸びている。

・65歳以上の高齢者のいる世帯:1990年で26.9%。2015年に47.1%。夫婦のみ・単身世帯は半数以上。

・生涯未婚率:1990年男性5.58%、女性4.33%。2015年男性23.7%、女性14.06%。

・女性未婚率:1990年20代後半40.4%、30代前半13.9%。2015年20代後半61.3%、30代前半34.6%。初婚年齢1989年25.8歳、2016年29.4歳。

・民間給与:1997年に467万円でピーク。2016年に422万円で1990年の425万円とほぼ同じ。

・小遣い:1989年は5万3000円、1990年7万7725円(ピーク)。2017年は3万7428円でピークの48%。

・在留外国人:1989年98万4455人。2016年末238万2822人。2.4倍。

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・書斎の片付け

・カラオケ:高齢者グループのエンターテイメントに。

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「名言との対話」。8月13日。下河辺淳「国土の上に絵を描くことはしても紙の上に文章を書くことはしない」

下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2016年8月13日)は、日本都市計画家建設官僚

 経済企画庁の総合開発局長、後に国土庁事務次官として日本の国土開発(「全国総合開発計画」の「一全総」から「五全総」まで「国土の均衡ある発展」をうたったすべての計画)を担った日本という国のプロデューサーだった人である。「ミスター全総」、「開発行政のドン」と呼ばれ、「御大」といわれるほどの影響力があった。

退任後、政府のシンクタンクである総合研究開発機構(NIRA)の理事長に就任、1992年からは東京海上研究所の理事長を務めた。1994年には国土審議会会長や国会等移転審議会委員なども歴任した。約1万4千キロの高速道路網や地方の工業拠点整備を進める新産業都市構想を打ち出した。

 1995年から1996年には首相の諮問機関である阪神・淡路震災復興委員会の委員長を務めた。1995年の沖縄少女暴行事件、米軍用地強制使用を巡る代理署名問題など国と沖縄の対立時には、普天間飛行場返還でアメリカと合意した橋本内閣の密使として、太田昌秀知事との橋渡し役を担った。

本人が書いたものは少ないが、インタビューではなかなか味のある発言が多い。

あるインタビューでは、「新幹線より豪華列車でゆっくり旅」、「豪華なホテルよりお坊さんの話を聴けるお寺」が流行る、地方の時代を予言している。

阪神淡路大震災時直後の山根一真のインタビューでは、『予想せざる事態』ではなく、『免責される限界を超えた』とし、『踏み固めていく』しかない。『技術者が口にする確率論と、個人が経験する世界とのギャップが大きい』、と述べている。

別のシンポジウムの発言を読んだが、未来への示唆に富んでいる。

・人口問題:20世紀は日本の人口が四千万人から一億三千万人近くへと九千万人口が増えた時代だが、海の近くに全部住んでくれたため山が荒れなかった。九千万人を収容した大都市は刑務所のようになった。三千五百万人の巨大都市・東京は世界に例がない。また人口が四千万人まで減っていって人間と国土の関係が回復するだろう。

・情報化社会:仕草、化粧、言葉、音楽、画像、符号といった六つの情報メディアが、人間に備わっており、人間が発する情報と、自然が発する情報とで、会話が成り立っていた。しかし、自分で情報処理が殆どできない、か弱い人間になってしまった。人間が自分で情報をつくったり、感じたりすることが殆どできない。これから大問題になる。

高齢化社会:本が世界の中で一番良い国になる条件は、年寄りが増えること。歴史、伝統、自然、人間、を知り尽くした人がリーダーであるべき世紀が来る。「良く年寄りの意見を勉強しなさい」と言えるような高齢化社会。年寄りが少ない子どもの面倒をみる社会。高齢化社会というのはもっともっと明るく語られるべきだ。

下河辺淳は、ヘリコプターで日本全土をくまなく、数え切れないくらい、空から見て回っていたと、父から聞いたことがある。また、ビジネスマン時代にNIRAの理事や官僚の後輩の人たちと接触したとき、下河辺伝説をよく聞いたものだ。冒頭の「描くのであり、書くことはしない」という意味は、国土の上に絵を描くことが自分の仕事であり、それを見てくれという決意を示す言葉と受け止めたい。

 

静かな男の大きな仕事 (福原義春サクセスフルエイジング対談)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、95年の沖縄少女暴行事件や米軍用地強制使用を巡る代理署名問題などで国と沖縄県の対立が深まる中、米側と普天間飛行場返還で合意した橋本内閣の密使として、当時の大田昌秀県知事らとの橋渡し役を担うなど沖縄問題にも関与した。
95年の沖縄少女暴行事件や米軍用地強制使用を巡る代理署名問題などで国と沖縄県の対立が深まる中、米
1996年の米軍普天間飛行場返還合意に絡み、橋本龍太郎内閣の「密使」として沖縄県側との橋渡し役を務めた
95年の沖縄少女暴行事件や米軍用地強制使用を巡る代理署名問題などで国と沖縄県の対立が深まる中、米側と普天間飛行場返還で合意した橋本内閣の密使として、当時の大田昌秀県知事らとの橋渡し役を担うなど沖縄問題にも関与した。