書評3つ--『100年人生の生き方死に方--百寿者(センテナリアン)からの「伝言』

新著『100年人生の生き方死に方--百寿者(センテナリアン)からの「伝言』(さくら舎)が、店頭に並び始めた。読売、日経の広告に続いて、地方紙でも広告が予定されている。

以下、「まえがき」から。

人生100年時代が到来しつつある。日本では「百寿者」というが、欧米では一世紀を生き抜いたという意味で「センテナリアン」と呼んでいる。この時代をリスクととらえる風潮が多いが、私は千載一遇のチャンスとみるべきだと思っている。

人生80年時代といわれた頃から「志学・而立・不惑知命耳順従心」という孔子の人生訓から脱却し、超高齢時代にふさわしい人生の考え方を私は提唱してきた。人生50年時代を1.6倍すると、志学は24歳、而立は48歳、不惑は64歳、知命は80歳、耳順は96歳、従心は112歳となる。

24歳から48歳が青年期、48歳から64歳が壮年期、64歳から80歳が実年期、80歳から96歳が熟年期、96歳から112歳が大人期、それ以降125歳まではは仙人期と考えたらいい。

人生100時代と言われるようになってようやくこの考え方を納得してもらえるようになったのではないか。20代半ばから80歳まで、青年期と壮年期と実年期とあわせて3つのキャリアを持てる時代になったし、その後も3期あるのだ。、、」

 

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第一章 学び続ける 107歳・平櫛田中 97歳・梅原龍三郎 91歳・渋沢栄一 88歳・葛飾北斎 /他

第二章 負けず嫌い 100歳・土屋文明 98歳・宇野千代 98歳・吉田秀和 95歳・鈴木大拙 /他

第三章 あきらめない 103歳・片岡球子 102歳・北村西望 100歳・豊田英二 /他

第四章 疲れを知らない 101歳・石井桃子 95歳・井伏鱒二 94歳・谷川徹三 /他

第五章 謙虚である 100歳・柳田誠二郎 99歳・中山素平 98歳・大村はま 98歳・原安三郎 /他

第六章 夢がある 105歳・日野原重明 96歳・安藤百福 95歳・岩佐凱実 90歳・梅棹忠夫 /他

第七章 心を忘れない 101歳・むのたけじ 95歳・松永安左ヱ門 91歳・小野田寛郎 /他

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以下、アマゾンの書評。

・人生半世紀を過ぎてみると、いろいろな価値観に振り回されたり、若い頃は道に迷ったまま途方に暮れていたことを思い出す。人生50年時代にはとうに長寿と言われたであろう自分の年代でも、人生100年時代と言われる昨今、残りの人生をどう生きるか、そんなことを考える機会も日々増えてきた。本書には、一足先に旅立った先達の生き方、その人物像についてが、端的かつ簡潔にまとめられている。浅学の身に名前を知る人はあいにくこの中の半分もいなかったが、かえってページをめくる毎に、こんなにすごい人々がこの国にいたのか、と驚かされた。キレる老人が社会問題として取り上げられる現代に於いても、本書で取り上げられるような人物は稀な人々だろう。だが、それだからこそ自分も含め、先人の知恵、生き方、考え方に学ぶことはまだまだあるのだと知る。学び続ける人、負けず嫌いな人、あきらめない人、疲れを知らない人、謙虚である人、夢がある人、心を忘れない人、と、本書の人物カテゴライズも、よく考えれば現代に必須の人生指標となりうるものばかりだ。20代、30代の若者にははるか先のことのように見えても、老いと死は逃れられない人生の終着点であろう。そこへ至るまでに、どう生きるのか、どう生きたいのかを「センテナリアン(百寿者)」たる彼らの人生に学ぶことで、自身の将来設計をより深く、広く考えることができると思う。こういう本の場合、普通はなぜか海外の偉人や有名人を取り上げることも多いが、本書に出てくる人々はみな日本人である。理知的かつ、情熱的で先進性を保ちつつ、自身の道を歩んできた日本の先人たちにふたたび学びたいと感じる。本書はそのためにも良いガイドとなるだろう。

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・何事かを成しえた長寿の方々が各人それぞれの価値観で、自分自身の人生を生き、そこから発した言葉はその人の人生の象徴である。芸術家、企業人、政治家、学者、皆、それぞれの価値観や信念で生き、自分の人生を充実させていったかがよく良く判る。著者は人に興味を持ち、人物記念館の旅を継続し、訪問の中でその人物に関する多くの事物に接し、その人物の生き様を鋭い観察眼で的確に紹介している。自分の今後の人生の過ごし方に多くのヒントを与えてくれる書籍である。

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・100年人生はコストだ、リスクだという負の議論しか耳にしないが、この本は、ライフワークが完成する可能性が高い時代が訪れる、それはチャンスだ、ととらえていて、元気がでる。100年人生のモデルとして挙げられている偉人たちの生き様とそれぞれの「伝言」には粛然とさせられると同時に、大いなる勇気をもらった。

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「名言との対話(平成命日編)」8月12日。河野裕子「病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ」

河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日)は、日本の歌人

23歳、角川短歌賞。31歳、現代歌人協会賞。35歳、現代短歌女流賞。38歳、ミューズ女流文学賞。40歳、NHK学園全国短歌大会選者。41歳、コスモス賞。44歳、毎日新聞全国版歌壇選者。51歳、短歌研究賞。52差ゥ、西日本新聞歌壇選者、河野愛子賞。53歳、NHK歌壇選者。55歳、京都府文化功労賞。56歳、紫式部文学賞若山牧水賞。62歳、宮中歌会始詠進歌選者。63歳、斉藤茂吉短歌賞、釈迢空賞、京都市文化功労者。64歳、小野市詩歌文学賞。生前の歌集は17冊。没後3冊。享年64。

息子の歌人・永田淳の『評伝・河野裕子』(白水社)によれば、実像は次のように観察されている。「鮮明な記憶力。物持ちがいい。右顧左眄しない。直球勝負。小中学校の図書室の本を全部読んだ。食卓で作歌、執筆。2Bの三菱鉛筆コクヨの原稿用紙。家族を愛した歌人。物事はなんでも楽しんでしまう。思い込んだら一途にひたむきに実践する。引っ越し一家。なんでも「まるごと」の人。口癖は「あの人はほんまもんや」。友達付き合いをしない。行動力は人並みはずれている」。そして、乳癌がわかったとき、「隠すと言葉が濁る」と言って譲らなかった。

「歌を詠み合っているから、改めてお互いに話さなくても気持ちがわかる」

「男は3回脱皮します」

「狭い世界だけに閉じこもって汲々とするんじゃなくて、広い世界を目指しなさい」

以下、私が感銘を受けた短歌。

 たとえば君、ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか

 わが頬を打ちたるのちにわらわらと泣きたきごとき表情をせり

 誰からも祝福されぬ闇の忌日 あたたかくいのち触れつつ断つ他は無し

 夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血の音

 たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

 日々重くなりゆくいのちか胎動といふ合図もて子は吾を揺りやまぬ

 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらと髪とき眠る

 子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る

 雪の世をほほづきのやうに点しつつあはれ北米の小家族なり

 しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合わせ

 ひとつ家に寝起きしてゐし日のことを大切に思ふ日この子にも来む

 町内を同じうすれば時に会ふ鶴見俊輔生協に入る

 昨日見て今日また見たみどり児に会ひにゆくなり傘かたぶけて

 今ならばまっすぐに言ふ夫ならば庇って欲しかった医学書閉じて

 この家に君との時間はどれくらゐ残ってゐるか梁よ答へよ

 櫂たちを悲しみ思ふこえ変わりする頃にわたしは居らず

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

私の母が歌人であり、妻も影響を受けて歌を作り始めた。その過程で河野裕子と夫の歌人永田和宏のことはよく話題になった。それは壮絶な闘病の歌が中心であった。私も一時短歌を志したが、無理だった。「天気はいいし、飯はうまい、病気もないし、何の不安もない、そんな人は短歌なんかめそめそしたものは作りません」という河野裕子の言に苦笑しながら納得する。

今回改めて河野裕子の生涯と生み出された短歌を眺める機会を得たのだが、河野裕子は人を鼓舞し、多くの人を育て、大勢の人の記憶に残り、暗誦される歌を数多く残した人である。歌を詠むことは生きることそのものであり、歌を残すことは人生を残すことなのだ。この人が病魔に冒されずに、100年の人生があったら、どのような歌を作っただろうか、と空想する。 

評伝・河野裕子:たつぷりと真水を抱きて

評伝・河野裕子:たつぷりと真水を抱きて