東京都美術館「ムンク展」。 国立西洋美術館「ルーベンス展」。 上野の森美術館「フェルメール展」。

午後:上野。美術館を駆け巡る。

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東京都美術館ムンク展」。

 国立西洋美術館ルーベンス展」。

 上野の森美術館フェルメール展」。

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  夜は湯島のレストラン「ビストロ・グラッソ」で中津北高の関東同級会。12名が参集。友松君のこの店は、もう13年目だそうだ。今後は、ここで集まろう。

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  「名言との対話」11月27日。新井正明「毎日毎日、嫌なことばかりだけれども、これは砥石で研かれているようなもんだな」

新井 正明(あらい まさあき、1912年12月1日 - 2003年11月27日)は、日本の実業家住友生命保険社長・会長、松下政経塾理事長、を歴任。

 東京帝国大学卒業後、住友生命に入社。その後、召集を受け、満州国とモンゴル(外蒙古)との国境線をめぐり発生した1939年の日ソ(外蒙古軍も)紛争「ノモンハン事件」で右大腿を切断。以後、隻脚人生を送る。戦後、住友生命で労組委員長を経て、1996年には社長に就任。この間、安岡生篤に師事し中国古典の虜になり、絶望の宿命から立ち直った。新井は本業を超えて、関西経済同友会代表幹事、松下幸之助がつくった松下政経塾の理事長なども務めている。そして、安岡生篤の教えを広めるために関西師友協会をつくり人を育てた。

 「地位に応じて成長するのは難しいことです」。「選り好みをせずに愛憎などの私心を捨てて部下を用いる。自分流儀の者ばかりを取り立てるのは水に水を差すようなもので調理にならず味もそっけない。日ごろ嫌いな人を良く用いることこそ腕前」

 新井正明の対談集『心花、静裏に開く  人物となるために』では、中村元、鈴木治雄、宇野精一、山下俊彦と、学界・財界のトップと語り合っている。対談の中では、中国古典や安岡東洋学の神髄が縦横に引用されているのだが、この人自身のオリジナルの言葉はみかけない。古典には倫理観、文芸、歴史など、人間の生き方に関するすべてが入っているからだろうが、そういうものが本人と一体となっている。新井正明という人間そのもが、先哲と恩師という硬質の材料で練りあがっているという印象だ。

一生をかけて世間という砥石で自分を研いていく、その心構えを見習いたい。