神保町シェア書店「猫の本棚」「ネオ@ワンダー」「PASSAGE]を、橘川さん、仁上さんと巡る。

神保町のシェア書店「猫の本棚」の私の「人生100年書店」の前で。

デメケンの橘川幸夫さんと「図書館」の仁上さんと。

この棚に私の写真とメッセージも貼ろう。

落語の春風亭壱一之輔書店。

女優の秋吉久美子書店。

亡くなった崔洋一書店。

最年少の高校生の「一回堂」

共同店主の水野さんと。

 

シェア書店「ネオ@ワンダー」の橘川幸夫コーナー。

すぐ上の本棚には中津の松下竜一の「豆腐屋の四季」「砦に拠る」があった。

シェア書店「PASSAGE」。3階に支店ができていた。2階はカフェ。

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「名言との対話」6月24日。松方幸次郎「本物の西洋美術を日本の画家に集めてみせてやる」

松方 幸次郎(まつかた こうじろう、1866年1月17日(慶応元年12月1日) - 1950年(昭和25年)6月24日)は、日本の実業家政治家川崎造船所社長、衆議院議員(日本進歩党)、美術収集家

2019年8月1日に国立西洋美術館の「松方コレクション展」をみた。鹿児島出身で松方正義首相の三男の松方幸次郎社長の川崎造船所第一次大戦での先行投資で莫大な利益をあげる。その資金を使って、10年で3000点の大コレクションとなる。川崎造船所が金融不安で経営不振になり、1000点を売り立て。ロンドンの火災で900点を焼失。1959年に接収していたフランス政府から美術館建設を条件として寄贈され、国立西洋美術館が開館。2019年は松方コレクション構想が始まって100周年にあたる。

松方コレクションは3000点。フランスから買い戻した浮世絵8000点を加えると、1万点を超える規模だ。これは1916年から1927年までのわずか10年ほどの期間。作品160点と歴史資料。時代の波に翻弄された松方コレクションの100年におよぶ軌跡をたどる企画展で、国立西洋美術館開館60周年記念企画だった。

1966年生。1875年政府高官となった父・松方正義を追って上京。1883年、大学予備門を退学処分。1884年アメリカラトガース大学に留学。イエール大学編入。1890年、イエール大学民法の博士号取得後、欧州を周遊して帰国。1891年、父の総理就任で秘書官。1896年、川崎造船所初代社長。1898年、結婚。1908年、神戸商業会議所会頭。1912年、衆議院議員。1917年、第一次大戦で莫大な利益を得る。1919年、共楽美術館設計図が日本到着。黒田清輝バーナード・リーチらが美術館設立構想を話し合う。日本への作品輸送開始。1920年ロダン地獄の門」を発注。1923年、ハンセン・コレクションを購入。1928年以降1935年まで、金融不安で川崎造船所の経営不振で美術品を売り立てる。1939年、ロンドンの倉庫の950点が火災で焼失。1940年、パリのロダン美術館に保管中の作品が疎開。1944年、「敵国人財産」として松方コレクションをフランス政府が接収。1951年、サンフランシスコ講和会議出席中の吉田茂首相が作品の返還を申し入れ。1955年、ル・コルビュジュとの設計契約成立。1959年、フランス政府から375点が返却される。6月10日に開館。松方コレクションの始めた1919年から今年で100周年。

2019年4月10日に上野の 国立西洋美術館林忠正」展を訪問した。林忠正(1835-1906)は初の日本人の西洋画美術商。松方幸次郎の25年前に日本での西洋美術館を夢見た人である。1883年から「芸術の日本」誌を3年間刊行。ルノアールは200点以上収集。1900年のパリ万博では日本側事務官長。ドガ、モネ、ピサロ、モリゾらと交友。帰国にあたり25年かけて収集した5000点以上を売り立て。500-600点を持ち帰りニューヨークで165点を売る。ルノアールの版画と素描を東京帝室美術館に寄贈。戦前には浮世絵を外国に売り飛ばしたと「国賊」と呼ばれるなど評価が低かったのだが、孫の妻である木木康子が書いた『林忠正とその時代』で復権を果たしている。この日はたまたま林忠正の命日だった。

2017年1月14日にすみだ北斎美術館北斎の帰還」展を見たときに、林忠正の名前があったことを記憶している。展示の目玉は「隅田川両岸景色図巻」だった。フランスで活躍した美術貿易商・林忠正の手に渡った。1902年に競売にかけられた。2008年にロンドンで開催されたオークションで106年ぶりに姿を現し、墨田区が所得したものである。アート小説を書く原田マハは、『たゆたえども沈まず』の中で、才気と孤高の人林忠正に、「たゆたえども沈まず―って、知ってるか」「激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる」「それこそが、パリなのだ」と語らせている。

今回読んだ原田マハ『美しき馬鹿者のタブロー』は、国立西洋美術館の原型となった松方コレクションの松方幸次郎をめぐる物語。タブローとは絵画のこと。「馬鹿者」とは、この物語に登場する、美に魅せらた人々のことである。松方幸次郎、矢代幸雄吉田茂、日置こう三郎らである。原田マハは彼らに「美しき」という賛辞を贈っている。絶頂期にあった松方は、フランス大使から「どのみち破産するなら、いまのうちにどんどん使っておけ。油絵でもなんでも、買えるだけ買い占めろ。それで、日本に持って帰れば、お国のためになるはずだ。せぜい、どっさり買っておけよ」とアドバイスしたとなっている。松方はそれを実行したわけだ。この本は戦後の吉田茂首相の大磯の邸宅での回想から始まっている。

莫大な利益をあげたとき、本物の西洋美術を集めた美術館を建設する夢を持ったことが、物語の始まりだった。そうでなければ、その利益はいつの間にか無くなっていただろう。夢、構想、志が大事だという教訓だ。

この本では、林忠正の志を松方は引き継いだのではないかという想定だった。松方幸次郎自身は「絵はわからない」と言っていたが、「本物の西洋美術を日本の画家に集めてみせてやる」と志を語っている。「美しき馬鹿者」たちの志の結晶が、現在の国立西洋美術館だ。松方幸次郎を中心する彼らの恩恵を私たち、そして未来の日本人も受けているのである。