多摩大学「シルバーデモクラシー企画」。
「 サントリー登美の丘ワイナリー」の敷地は東京ドーム32個分。ドイツのライン川沿いと同じ風景。雨が少なく日照が多い傾斜地。1909年から109年目。
ワイナリー(醸造棟)。瓶熟庫。セラー(貯蔵庫)。
ブドウに糖分を加え10日から20日発酵させるとアルコールになる。赤ワインは高温(20-30度)、白ワインは低温(10-20度)。蓋の打ち込み型は長期熟成、キャップ型は短期熟成。樽に使う楢の木はフランス製で上品で香ばしい香り。瓶熟庫は15-18度C。暗く、静寂で、ひんやり。白は半年から1年。赤は3年から5年。
テイスティングカウンター・ショップでは、無料の赤ワインに続き、一杯2000円の貴腐ワインを試飲。とろける甘さ。1本54000円。
このワイナリーの歴史が貼ってある。小山新助:中央線建設に功績。1909年(明治41年)に登美の丘に農園。ハインリッヒ・ハム:28歳で来日。鳥井信治郎:1999年寿屋。1907年に赤玉ポートワインが大ヒット。
川上善兵衛:日本のブドウワインの父。川上の口利きで鳥井治郎が廃園同様になっていた登美の丘農園を引き継ぐ。この人の名前は「日本のワイン葡萄の父」として知っていた。書斎に資料がある。1868年(明治元年)生。時代のうねりの中で「自分は何を成し得るのだろう」と思いを巡らす。親交のあった勝海舟の私邸で海外の香りの高いワインと出会いいいい、葡萄栽培とワイン醸造に目を向ける。山梨などの葡萄園を見学した後、故郷越後の上越市の実家の名園をつぶし、「岩の原葡萄園」を始める。日本の風土に合う葡萄を求めて交配実験を繰り返し、「マスカット・ベーリーA」を誕生させる。雪を利用した低温発酵や温度管理も実現したが、販売は伸びず倒産の危機に瀕する。救いの手を差し伸べたのが寿屋の創業者・鳥井信治郎で共同経営者となった。川上は経営の重圧から解放されて、品種改良に情熱を注ぐ。川上は朝晩、正座してワインを飲んだ。JR信越本線「高田駅」でおりる「川上善兵衛資料館」も訪問したい。0255284002。
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午後:南アルプス市で第3回やまなしフォーラム。多摩大学と地域デザイン学会が主催。
南アルプス市の金丸市長の挨拶。「「ジェロントロジー。シルバーデモクラシー。第6次産業」。
駒澤大学の青木先生「やまなしにおけるライフシフト 人生100年の課題」。「東京30万、南アルプス市5.7万。東京1億円、甲府2500万。甲府品川24分に。
多摩大学小林先生「私立大学研究ブランディング事業としての多摩大学と南アルプス市の交流行事プログラムの成果」。「知縁」。
市教育委員会の斎藤秀樹さんの「南アルプス市における高齢者の歴史的文化潜在力」。「高齢者の記憶の記録化プロジェクト。数百人インタビュー。宝を伝えたい。ふるさと博物館」
寺島実郎多摩大学長「スーパーメガリージョンが山梨に与えるインパクトーージェロントロジーの視界から」。多摩と山梨。八王子千人同心。甲斐武田一族。つながり。読書。水上達三。石橋湛山。辻信太郎。7000万人のスーパーメガリージョン。
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パネルディスカッション「やまなしにおける交通・医療・教育・財政の課題と未来」
山梨大学の石井先生。山梨学院大の今井先生。山梨県立大の澁谷先生。大学婚ソーシアムの佐藤先生。多摩大の趙先生。駒沢大の青木先生。
石井「元気な高齢者」。今井「健康寿命日本一は山梨」。澁谷「財産管理」。佐藤「学び直し」。趙「地域ごとのローモデル。幸福度。生涯学習」。石井「セルフデザイン。山梨モデル」。今井「パラレルキャリア。国道16号線の受け皿」。澁谷「決済の民主化。福祉型イフィンテック。構想力」。佐藤「learning by Doing。教養としての自己表現」。趙「異なる大学の連携」。青木「旗を立てよう」。
総括は、地域デザイン学会の原田理事長。「理論が未熟。運動を起こしていく。デザインとセルフ」。
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往復とも、小西先生の車。バートル先生、今泉先生、加藤先生と雑談しながら。
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「名言との対話」12月2日。長谷川チヨ「スーパーセンテナリアン」
生誕 | 1896年11月20 |
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死没 | 2011年12月2日(115歳没) 日本佐賀県三養基郡基山町 |
死因 | 老衰 |
住居 | 日本佐賀県三養基郡基山町 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 |
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長谷川 チヨノ(はせがわ チヨノ、1896年(明治29年)11月20日- 2011年(平成23年)12月2日)は、長寿日本一であった女性。
佐賀県三養基郡基山町に在住し、2007年の時点で佐賀県内最高齢となった。当時は介護老人保健施設にて暮らしており、好き嫌いなく何でも食べた。2010年5月2日に日本国内最高齢の知念カマが114歳357日で死去し、113歳163日の長谷川が最高齢となった。2011年11月20日に115歳の誕生日を迎える。日本人が115歳を迎えたのは、18年ぶり、2人目のことである。同年12月2日午前8時28分、佐賀県基山町の老人ホームにて老衰のため115歳で死去。長谷川チヨノの逝去に伴い、男性世界最長寿者の木村次郎右衛門が日本最長寿者となり、大久保琴が女性の日本最長寿者となった。
長谷川チヨノが生まれた1896年11月20日時点では、小説家の樋口一葉、発明家のアルフレッド・ノーベルらがまだ存命中であった。この人は19世紀、20世紀、21世紀という3世紀を生きたことになる。
100歳以上の人物をセンテナリアンと呼ぶが、そのセンテナリアン1000人のうち1人がスーパーセンテナリアンになる。 現在存命中の確実に証拠がある世界最高齢者は日本の田中力子(1903年1月2日生)であり、2018年7月22日に都千代が死去したことに伴い、世界最高齢となった。
長寿化の進行によって、現在生まれた日本の子供の平均寿命は世界で突出し、107歳になるという。センテナリアンになるだけでなく、これにスーパーがつく人も珍しくなくなる社会が待っている。