朝日を浴びる黄金の輝きのマンション。
10時:大学:人事委員会:採用人事。
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12時15分 :久しぶりに多摩センターの京王プラザホテルのサテライトオフィス「京王ビズプラザ」を訪問。https://keio-bizplaza.jp/
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12時半:京王プラザホテルの中華の「南園」で仙台から見えた富田英夫さんを囲んで昼食。免疫療法で末期ガンを克服し奇跡の復活を遂げた話を聞く。
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15時:進研アドからのプレゼンを受ける。杉田学部長、金入試委員長。宮地事務局長、森島入試課長、酒井主任。
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18時半:吉祥寺のロシア&ジョージア(旧グルジア)料理のレストラン「カフェ ロシア」で、同僚の樋口先生、中村先生、石川先生との懇親会。
プーチン大統領の写真入りのカレンダーも。
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「名言との対話」12月5日。加藤周一「私は自分自身にも、世間にも、あまり多くを期待しない。けだし失望を避ける唯一の方法は、やたらに高望みしないことだからである」
加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は、日本の評論家。医学博士。
1958年に医業を廃し、以後評論家として独立した。1984年版『大百科事典』(平凡社)の編集長をつとめる。1988年から1996年の間、東京都立中央図書館長も務めた。また、2004年に哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人となった。
上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長など歴任した国際的な学者でもある。
1980年に『日本文学史序説』上・下で大佛次郎賞、1993年に朝日賞を受け、その長年の文化功労に対して、2000年、フランス政府からレジオンドヌール勲章(オフィシエ賞)を授与される。
「読む時間が多すぎて、書く時間が少なすぎる」と嘆いた加藤は、 膨大な量の著作をものした。そして「読書術」という名著を書いた。精読術、読まずにすます読書術、原書の解読術、看破術、読破術、などが配置された究極のノウハウ本で、私も含め多くの読者の支持を得た。
加藤には『雑種文化』という著書がある。日本は外からの様々な文化の流入によって出来上がっており、純粋さを志向すると、おかしなことになると警告している。雑種性を認め、それを特徴として生かしていこうという趣旨だ。この本も話題になり、読んだことがある。
関係した 立命館大学には「加藤周一文庫」がある。加藤と親しく、『加藤周一はいかにして「加藤周一」となったのか』を書いた講談社の鷲津力は立命館の加藤周一現代思想研究文化センター長を務めていた。鷲津は日航時代の上司が親しかったこともあり何度か酒席をご一緒したことがある。
加藤周一は、 理想的な社会というものは存在しないという考えを持っていた。現状が少しづつでもよくなればいいとして悪い流れに抵抗する。また自分自身に対しても失望を避けるために、多くを期待せず、高望みをしないことにしていた。それが少しづつ積み上げていくスタイルを生み、結果的に森羅万象に通じた「知の巨人」と呼ばれる自分を形成したのである。