インターゼミ。
・学長講話:生誕100周年の保守政治家・田中角栄(1918年生)と没後10年の戦後リベラル知識人・加藤周一(1919年生)。世代の共通項。戦争への拒否感と中国への贖罪意識。世代の可能性と限界。(自分史と昭和史・平成史の歴史年表)
・本物か。本当の力か。コンテンツ。本質。人脈と資産。自分とは何か。
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中村 秀一郎(なかむら ひでいちろう、1923年(大正12年) - 2007年(平成19年)10月20日)は、日本の経営学者。
1964年 専修大学経済学部教授。1989年 多摩大学経営情報学部長・教授。1995年4月に第2代学長に就任するが病に斃れる。
「多摩大は「大学改革の先進モデル」として世間に名を成した。もしそうした事実が創設期の多摩大の成功と言えるなら、僕は誰に対してもためらいなく、その功績の過半を貴方の存在と活躍によるものだと断言してはばからない。確かにその間僕は初代学長ではあったが、対外的業務に追われつづけた僕に対して、学内業務を適切に裁き、学内の人心を見事にまとめた貴方こそ、実質的学長といってよかったからだ」は、名コンビだった野田一夫初代学長の弔辞である。
寺島実郎第5代学長は就任時に「中村秀一郎2代目学長の本を読んだ。アカデミズム、インダストリアルズム、ジャーナリズムから教員を集めた。ホテル・レストラン学部構想などが書かれていた。原点回帰も」と述べている。
現在の学部長の杉田文章教授は、2017年の同窓会イベントで、「尾高敏樹(大学の番頭)。松谷泰行2代学部長(全員添削)。鈴木雪夫(初代研究科長)。井上伸雄(いたずら王)。日下公人研究科長(人生最高にして究極のレジャーは教育)。国津信博(人生訓)。内藤則邦(ゼミ中心大学の起源)。白根礼吉(ダンディズム)。近藤隆雄(教務委員長)。門間晋(英語の前に日本語)。大槻博(日本初の授業評価)。河野大樹(ドラッカー)。井上一郎(那野比古)」など伝説の教授陣を紹介して、途中入社の私は豪華な教授陣に改めて驚いた。
ビジネスマン時代に一度だけ多摩大のパーティで中村秀一郎先生と声を交わしたことがあり、温厚な笑顔が印象に残っている。名言の一つは「多摩大の敵は多摩大」である。私たちがこの10年行ってきた改革にも通ずる言葉であり、蛎殻や垢のついた組織の改革に邁進した私たちの推進力となったコンセプトともいえる。
中村秀一郎は「ナンバーワンではなく、オンリーワンこそ、差ではなく違いこそ、またビッゲストではなくベストこそ、追求に値するのだ」と『21世紀型中小企業』(岩波新書)で述べている。これは企業にも、大学にも、そして個人にも当てはまる。
「中小企業」という垢にまみれた暗さのある言葉から、清成忠男とともに「ベンチャー企業」と命名したコンセプター中村秀一郎の功績は大きい。「大企業病」と同じように、その後まるで普通名詞のように誰もが語るキーワードとなった。それがある時代の日本経済を牽引した。そして「ベンチャー精神」は、多くの若者を鼓舞したのである。
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