来年は1年続けたポッドキャストでの「名言」の配信に続き、音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』を開始することにチャレンジしてみる。以下、「こえラボ」の岡田社長が書いてくれた案内。
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◆タイトル 音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』。
多摩大学 久恒啓一です。2016年から偉人の名言を毎日発信してきました。そして、2017年には書籍『偉人の命日 366名言集~人生が豊かになる一日一言~』を出版いたしました
私は、生活に深く影響を与える人、幅広い人に影響を与える人、世
偉人からは職業観、仕事観、人生観、死生観について深く影響を受
音声講座「ビジネスに活かす偉人の名言」は私がこれまで多くの偉
ビジネスには、事業や仕事という意味があります。事業をおこしたい、仕事を充実させたい、人生を意味あるものにし
この変化の激しい時代だからこそ、偉人の名言から学ぶことが多い
本日から1月13日(日)まで先行予約を受け付けています。先行予約いただいた方には、1ヶ月の無料受講をプレゼントさせて
このお得なキャンペーン期間中にぜひお試しください。
詳細は下記のページを御覧ください。https://meigen.koelab.net/
告知用の音声です。お聞きください。
◆webサイト掲載 https://meigen.koelab.net/wp-c
◆ポッドキャスト配信用 https://meigen.koelab.net/wp-c
先行予約特典として、1ヶ月の受講料無料キャンペーン実施中!
講座内容
約30分の音声講座で、主に下記の内容をお伝えしています。
偉人の人物紹介。偉人の名言の解説。ビジネスに活かすヒント。偉人にまつわる書籍や偉人館のご紹介。毎週月曜日にメールでお届け。facebookグループで久恒啓一や一緒に学ぶ仲間との交流、リアルな議論も行えます。
カリキュラム
下記の偉人についての講座を実施いたします。
バックナンバーのご購入も可能です。
1月14日号 ワコール創業者 塚本幸一
1月21日号 指圧療法創始者 浪越徳治郎
1月28日号 アシックス創業者 鬼塚喜八郎
2月4日号 サイボクハム創業者 笹崎龍雄
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「名言との対話」12月30日。宮尾登美子「書きたいことはいっぱいあり、全部書くには二百歳まで生きなくてはなりません」宮尾 登美子(みやお とみこ、1926年4月13日 - 2014年12月30日)は、日本の小説家。高知県高知市生まれ。
宮尾登美子の作品の数は多くはないが、粒ぞろいだ。受賞歴を並べてみる。 女流新人賞(前田とみ子名義)(1962年)太宰治賞(1973年)女流文学賞(1977年)直木三十五賞(1978年)吉川英治文学賞(1982年)文藝春秋読者賞(1989年)紫綬褒章(1989年)菊池寛賞(2008年)文化功労者(2009年)。私はこの人の本を少し読んだだけだが、こういった受賞が当然だという気がする。
毎日書いている私のブログで「宮尾登美子」が登場するのは、4回である。以下、並べてみると、縁があった作家であると思った。
「宮尾登美子の世界」(仙台文学館)。NHK「義経」の原本を書いた作家・宮尾登美子の人生と作品、秘蔵の品々を紹介する展示が仙台文学館で行われている。1926年(大正15年)生まれで、今なお健筆を振るう。2004年『宮尾版 平家物語』全4巻(青龍之巻・白虎野巻・朱雀之巻・玄武之巻)の完成を記念して行われた展示である。46歳の『櫂』が太宰治賞を受賞してから作家としての人生が花開くというから遅咲きだ。5月21日の日記には「第9回太宰治受賞の知らせ、泣く」とある。1978年には『一弦の琴』で3度目で直木賞を受賞する。『春燈』『朱夏』『仁淀川』『寒椿』『鬼龍院花子の生涯』『序の舞』『蔵』『伽羅の香』『天涯の花』『クレオパトラ』など女性の一生を描いた傑作が多い。作家を志して57年、作家としては32年、下積みの無名時代が長い。宮尾は生涯で三度、持ち物の全てを失っている。満州での難民せ生活、実家の戦災、故郷からの上京。波乱の人生でもある。整然とした字で書かれ、うづ高く積まれた原稿用紙の束に驚く。いまだに万年筆による手書き原稿。こよなく着物を愛する人である宮尾登美子は着物姿の写真が多い。同時代の女流作家や女優からの手紙、そして仲代達也からの達筆の手紙も見る事ができた。
。『林真理子の名作読本』」(文芸春秋)を読んだ。宮尾登美子『櫂』では「宮尾登美子氏の本を、「あなたがまだ読んでいないとしたら、それはとても不幸なことである」との対話」と紹介している。
「耳で聴く」という読書の可能性は高い。宮尾登美子「いま女はさまざまに生きる」を聴いた。
「私はいま、書きたい、書きたい、書きたい、書きたいばかり。しかし目の前には繕い物が山積みしている。あきらめるべきか?否、私は両方やる」(1947年7月4日の日記より)の言葉どおり、小説と家事との両立を必死に行った。広辞苑を読むのが趣味で、いつか使いたい言葉を書き留めたノートも膨大であった。一行を書くのに一冊の本を読むこともある宮尾は「彫心鏤骨、孜々営々」と励んだのである。21歳の決心から60年経った2007年時点の日経新聞のインタビューで、この「二百歳」発言が出てくる。宮尾登美子は執念の人だ。