湯島での高校同級会の昼食のあと、両国のすみだ北斎美術館の「学者の愛したコレクション」展をみてきました。

昼食会の湯島から近い両国で降りて、すみだ北斎美術館の「学者の愛したコレクション」展をみてきました。北斎の展示はもちろん素晴らしいかったのですが、最近の私の関心である「コレクター」という言葉に惹かれての訪問です。

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昼食は、湯島のレストランで中津北高の同級生たちとの久しぶりの懇親会。5人で酒を飲みながら語り合いました。コロナ明けの最初の会です。次回の企画(ゴルフ)も決まりました。

終わって、喫茶で猪俣、松田両君とコーヒー。

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「名言との対話」10月26日。岩崎京子「(家庭文庫を)またいつか再開したい」

岩崎 京子(いわさき きょうこ、1922年10月26日 - )は、日本の児童文学作家。 

東京生まれ。恵泉女学園高等部卒業。与田凖一に師事。1959年、短編「さぎ」で児童文学者協会新人賞を受賞。1963年、『シラサギ物語』で講談社児童文学作品受賞。1970年、『鯉のいる村』で野間児童文芸賞芸術選奨文部大臣賞受賞、1974年、『花咲か』で日本児童文学者協会賞を受賞。2006年、巖谷小波文芸賞受賞。2009年、横浜文学賞受賞。2010年、『建具職人の千太郎』で第40回赤い鳥文学賞を受賞。

動物や自然を愛する誠実な人間の姿を流麗な筆で淡々とした筆致で描く作風が中心で、歴史的な素材を使っての作品もある。

2018年『花のお江戸の蝶の舞』、2019年『いなくなったたのかんさあ』まで延々と絵本を書き続けている。まだ現役なのだ。数えると翻訳書やエッセイを含めて70冊を超えている。「ももたろう」などの『にほんむかしばなし』全10冊(1984)や「かぐやひめ」などの『日本の民話えほん』全6冊(1996~2000)もある。

EhonNaviに投稿された読者の声を拾ってみる。こういう声をもらうという「絵本」にかかわる仕事は素晴らしい。

「ちいさなこいのぼりのぼうけん」。読んでいて、わくわくと楽しく、さわやかな気持ちになる、そんな1冊に思います。(40代ママ 女の子10歳)。「たにし長者」。タニシが主役のお話って、なかなかめずらしいですよね。派手な展開とかはないですが、子どもたちは気に入っていたようです。(30代ママ 女の子9歳、男の子5歳)。「十二支のはじまり」。この絵本は文字数も多くなく読みやすかったです。(40代ママ 男の子11歳)

ド・ロ神父と出津の娘たち』(岩崎京子著)を読んだ。私は2006年に長崎のド・ロ神父記念館を訪問したことがある。 目的地だった遠藤周作記念館の近くにあった。フランス貴族出身で40年間にわたって日本に滞在し、そのほとんどを外海 (そとめ)の出津村のために尽くした神父の記念館だ。 1868年に28歳で来日、以後74歳で没するまで日本に滞在した。遠藤周作記念館で神父の考案した「ド・ロそうめん」を食したことを思い出した。こういう偉人伝を書いていたのかと驚いた。

岩崎京子は1975年から東京世田谷区の自宅を開放し「家庭文庫」を開き、絵本などを貸し出している。42年間続いたが、94歳のときに閉じることになった。この時の新聞のインタビューでは「またいつか再開したい」と答えている。この気迫が凄いと感心した。

この「名言との対話」では、自分では意外だったが、絵本作家が登場することが多くなった。彼らの生涯と作品に触れるなかで、子どもたちのための絵本づくりは、未来をつくる大事な仕事だと確信をもつようになり、尊敬することになった。

こどものための図書室を開きたいという夢を実現した石井桃子のことを思い出した。「のんちゃん雲にのる」などの名作を書いた石井桃子は101歳まで生きている。本日で99歳という「白寿」を迎えた。岩崎京子は来年には百寿者、センテナリアンになる。