「ジョルジュ・ルオー展」

パナソニック汐留ミュージアムで開催の「ジョルジュ・ルオー展」。

 ルオー(1871-1958年)は、独自の様式で「聖顔」」、「聖女像」、「受難のキリスト」、「聖書の風景」等々、宗教的題材を絵画にした画家。この絵の制作始める。ルオーの「信仰告白」である。

1950年はローマ教皇によって「聖年」とされ、「聖なる芸術」展がパリで開幕した。80歳直前のルオーはこのすべての聖年行事に関わった。

初期から晩年までキリストや聖書を題材とした絵を描いた。ルオーの主題は一貫していた。ルオーの絵画は、「生きる苦悩」と「愛による救済」を求める巡礼であった。ひたすら描き続けた。87年の生涯を終えたルオーの葬儀はフランス政府によって国葬になった。

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 ルオーは生涯をかけて、キリスト教の絵画を手がけた。その際、絵画に題やコメントをつけている。

「生きるとは辛い業、でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」。ルオーにとって生きる苦悩は、創造する苦しみである。その創造は愛することによって達成される。「正しい人は、白壇の木のごとく己を打つ斧に香を移す」。

福島繁太郎(1895-1960)は、パリ滞在中から熱心なルオー作品のコレクターだった。福島はルオーとは家族ぐるみの交流があった。バロン・フクシマと呼ばれていた。医師で画家の宮田重雄(1900-1971)もルオーの絵を所蔵している。

「聖顔」の作風は変遷している。初期はキリストは目を閉じ茨の冠をかぶる受難の姿だ。1930年代では、鮮明な線と色彩で顔は平面になる。大きな目と一筋の長い鼻が際立つ。1930年代以降は、色彩豊かな装飾的な枠が描かれる。「色と形と調和」が完璧に実践されている。

「サラ」というタイトルの作品がある。最後の作品のひとつで最高傑作と言われている。旧約聖書アブラハムの妻の絵は、東洋の仏像のように微笑んでいるのが印象的だ。

ヴァチカンに1973年に「現代宗教美術コレクション室」が開設された。20世紀最大の宗教画家・ルオーの作品がある。

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 「名言との対話」1月5日。森本哲郎「私が何より憂えるのは、理想への情熱が失われ、人びとのあいだに倫理への無関心がはびこり、個々人の刻苦勉励が逆に冷笑される、そのような風潮が日に日にあらわになってきている日本の社会の現状である」

森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年10月13日 - 2014年1月5日)は、日本の評論家

朝日新聞東京本社入社し、学芸部次長、編集委員を経て、1976年退社し、世界各国を歴訪する。以後、評論家として文明批評や旅行記などの著述を中心に活動した。1988年~1992年、東京女子大学教授。主な著作に、『サハラ幻想行』(河出書房新社)、『詩人与謝蕪村の世界』(講談社学術文庫)、『ぼくの哲学日記』(集英社)、『この言葉! 生き方を考える50話』(PHP新書)、『愛蔵版 ことばへの旅』『日本語 表と裏』『文明の旅―歴史の光と影―』『生き方の研究』『森本哲郎世界への旅 全10巻・別巻1』(以上、新潮社)など多数。 1980年にはテレビの情報番組のキャスターを務めた。フリーアナウンサー森本毅郎(たけろう)は実弟である。

 森本が活躍していた頃、森本の著書はいくつか読んでいる。その中では『生き方の研究』が印象に残っている。人は自分の生き方、人生について、考え、悩み、迷う。そうしたときに道標となるのは、先人たちの生きた足跡、遺した言葉だ。その水先案内の役を担ってくれる書物がこの本である。セネカ陶淵明シュリーマン兼好法師など39人をあげて、人生の根源的な意味を掘り下げた人生のバイブルとなる本だ。

森本は「言葉」の収集家である。歴史をさかのぼり、世界を踏破し、古今東西の優れた人々の生涯と彼らの残した言葉と対話した。それは人生の旅人である自身のためであったのだが、そのエキスを読者にも提供してくれた。人物と名言の旅を志す私の先達である。

その森本哲郎は、理想、倫理、勉励が冷笑される風潮が増しつつある日本社会に警鐘を鳴らしている。だからこそ、このような仕事がますます重要になるのである。森本哲郎は私の同志だという思いを強くした。

 

生き方の研究 (新潮選書)

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