教員・職員参加の全体方針共有会。

全体方針共有会が丸一日行われた。教員・職員参加。

組織力の強化と若手新人教員6人の加入による、戦力向上の期待。

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「名言との対話」2月27日。稲垣史生「理想の大将とは馬鹿でなく、臆病でなく、利口すぎず強すぎないことで、そのうえ下に対する思いやりというか、寛容さが大切です」

稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本時代考証家・歴史小説家

戦前は都新聞社会部記者、海軍省嘱託の報道班員、戦後にサンニュース・フォトス記者、歴史文学研究会事務局長、雑誌編集長などを経て、文筆業に入る。1942年、「京包線にて」でサンデー毎日大衆文芸賞受賞。1962年、「花の御所」で第20回オール讀物新人賞受賞。同作は第48回直木賞の候補作にもなった。

竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』『勝海舟』など多くのNHK大河ドラマ時代考証を手がけた。『歴史読本』で映画やテレビドラマの江戸描写に対し歯に衣着せぬ評論を連載していた。『考証風流大名事典』などの時代考証に関する著作のほか、歴史小説も著した。1975年、第1回放送文化基金賞受賞。

多くの映画やテレビドラマの時代考証を手掛けた江戸時代考証の第一人者である。司馬遼太郎は、稲垣の著書『時代考証事典』の帯に「唯一の先達の仕事」との推薦文を寄せるなど、江戸時代考証において自分よりも優れた知識を持つ稲垣には敬意を表していた。

弟子に『コメディーお江戸でござる』(NHKテレビ)で江戸の歴史、風習についての解説コーナーを担当していた杉浦日向子(1958-2005)がいる。私もこの番組で杉浦の解説のファンだった。杉浦は「時代考証」に興味を抱き、朝日カルチャーセンターでの稲垣史生の「時代考証教室」に通い、その熱心さに稲垣に正式な「弟子」として認められ、稲垣の川越の自宅に3年間通ってものになったが、惜しくも40代半ばで亡くなった。元夫は博物学者の荒俣宏だ。

時代考証とは、映画・テレビの時代劇や時代小説などで描かれる歴史的な過去の言葉遣い・名称や呼称・生活習慣・建築様式・美術様式・政治制度などが、史実として適正なものか否かについてを検証することだ。学者ではできない武士や庶民の結婚式や日常生活の復元ができる人を時代考証家と呼んでいる。江戸学の祖・三田村鳶魚(1870-1952)に続く時代考証家が稲垣だった。私たちはこの人の知識のおかげでテレビの時代物を楽しめたわけだ。杉浦日向子亡き後、後継者はいるのだろうか。

さて、その時代考証家が、過去の時代の装置や制度や習慣の中を生きている人物について語ったのが、理想の大将論だ。「戦国時代を例にとると、強すぎても利口すぎても頼れる武将とはいえません。強すぎると我儘が出るし、利口すぎると感情的で移り気になりやすい」。賢く勇気があるという簡潔な言い方をしないで、「馬鹿でなく、臆病でなく、利口すぎず、強すぎず」と否定表現を使っているのが面白い。ある程度賢く、まあまあの勇気もある、という資質がいるが、しかし下には「思いやりと寛容」が必要だというという肯定表現を使っている。そこに人物をみる確かな目を感じる。