『平成時代の366名言集ーー歴史に残したい 人生が豊かになる一日一言』(久恒啓一編著)を発刊。
「平成の著名人が遺した珠玉の名言・金言集。366の人生から取り出した、幸せを呼ぶ一日一言は、現代人の生きる指針となる。いつもそばに置いておきたい座右の書!」。
2017年の『偉人の命日366名言集』、2018年の『偉人の誕生日366名言集』 に続く、第3弾。27日には2回目の日経新聞の広告を予定。
命日編」が478P、「誕生日編」が550p、そして「平成編」は667pである。毎年100pほど増え続けている。
平成時代の366名言集―歴史に残したい人生が豊かになる一日一言 (コミュニティ・ブックス)
- 出版社/メーカー: 日本地域社会研究所
- 発売日: 2019/07/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
平成時代の人には、人物記念館はない人がほとんどだ。書くためには、本を読まねばならない。この本を書くためにアマゾンで古本を買いまくり、日々読まねばならない。結果的に、244冊の本が、この本の末尾に参考文献として並んでいる。
ある雑誌に載せる「『平成時代の366名言集』を編んで」というエッセイを書き始めている。以下、そのポイント。どうやって人を探すか? どうやって本を選ぶか? どうやって書いているのか? 自転車操業読書法! 同時代史であり自分史でもある! 日本人とは何か? 教養がつく! 新しい読書法! 真実の本人か? インターネット時代! 「修行僧みたい」?
-----------------
午前:大学:「アラハン賛歌」の編集。講演の資料の準備。
午後:地研:打ち合わせ。
往復の間にロッキー青木の本を半分読む。自宅の風呂で読了。この人以上に人生を謳歌した人はいないのではないか。快男児の物語。
-------------------------
今日の収穫。朝比奈隆。
「巧くじゃなく、真面目に必死にやる」「遅く始めて、長くやれば帳尻は合う」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」7月10日。ロッキー青木「人生で恐れなくてはならないものは、「何もしないで、生きる」ことなのである」
ロッキー青木(本名は青木 廣彰あおき ひろあき、1938年10月9日 - 2008年7月10日)は、日本の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。
アメリカ合衆国の鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」の創業者。ロッキー青木は通称。慶應義塾大学一年生のとき、全日本学士レスリング代表団のメンバーとして渡米、ニューヨークに残り、ハーレム街でアイスクリーム売りなどをしながらニューヨーク一市立大学を卒業。日本食のテーマ・レストラン「ベニハナ・オブ・トーキョー」のオーナーとなり、「雰囲気は日本、味はアメリカ人好み」のレストランを全米に展開した。合掌造り、城郭風の建物、内部は武具、日本刀、掛け軸、陶器など日本の古美術品で飾っている。ビリオネア(億万長者)として有名になった。気球による太平洋横断に初成功。バックギャモンというゲームの全米チャンピオン。自ら創設しモーターボートのベニハナ・グランプリで優勝。カーレースにも挑戦した。
青木の自伝『人生、死ぬまで挑戦だ!』 には、ビジネス上の名言、教訓が数多く散りばめられている。
ロッキー青木の言葉。「人生死ぬまで挑戦だ!」「死ぬことを恐れることは、生きることを忘れることである」「僕の事業はショー・ビジネスだ」「ボクのビジネスは「日本人であることを忘れること」から出発した」「現状に満足したら人生はおしまいだ。他人の鐘を有効に使うのがビッグ・ビジネスマンの条件だ」「ビジネスのヒントは自分の身の回りに転がっている」「趣味は広ければ広いほどいい。人の輪が広がるからだ」「人生で恐れなくてはならないものは、「何もしないで、生きる」ことなのである」「ビジネスで成功するのも、冒険で成功するのも、つきることは同じだと思う。それは「夢を持つ」「手段を徹底的に考え抜く「命がけでやる」の3つである」「Hard work,Hard think.」
アメリカの名言。「ビジネスに、自動ドアはない」「一流の人間は一流の人を使い、二流の人間は三流の人を使う」「離婚は女のビジネスだ」「勝つことがすべてだ」「死を恐れることは、生きることを恐れることだ」。
ユダヤの名言。ユダヤ人の言葉。「あなたが持っていない物を、必要としない人に売るのがビジネスだ」「ビジネスの極意とは、「エスキモーに冷蔵庫を売る」こと」。
自伝 の冒頭は、「日本人はいつの間に、こんなに金持ちになったのだろう」「土地を持っているだけで、何もしなくても大金が手に入るそうだが、これは決してビジネスではない」「ボクの知らない30年の間に、日本はいったいどうなってしまったのだろうか」という述懐が何度もでてくる。ロッキー青木がアメリカにわたった1969年から30年たった時の感想だ。この本が発刊された日本の絶頂期である1989年7月から30年経った現在の時点で読むと、この間の変化に驚きを覚える。
ロッキー青木にとっては、カネと女とアドベンチャーがメシ(事業)のタネだった。すべての活動は「日本を売る」事業のために、自身の名を売ることにつながっていた。それが大成功の理由だ。よく生きることがよく死ぬことにつながっているという人生観だ。人生の目的は 延命はではない。