田端文士村会館「芥川龍之介の生と死」展ーー「企画展」「家族の言葉」「文豪とアルケミスト」

先日、田端文士村会館で開催中の「芥川龍之介の生と死」展を訪問した。芥川龍之介記念館がないのを不思議に思っていたが、田端に多数の文人がいたことに納得せざるを得ない。この企画展は充実していて見ごたえがあった。

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田端の文士、画家など:岩田専太郎。小穴隆一。岡倉天心菊池寛川口松太郎小杉放菴。木庭屋h氏秀雄。佐多稲子。サトウハチロウ。田河水疱。竹久夢二土屋文明直木三十五中野重治。野口雨情。林芙美子平塚雷鳥室生犀星山本鼎二葉亭四迷。、、、、、

以下、この企画展の章立て。「芥川龍之介の死生観」「芥川龍之介谷崎潤一郎の文学論争」「芥川龍之介の晩年と死」「芥川龍之介の死と室生犀星」「芥川龍之介の死と堀辰雄」「芥川龍之介の死と家族」「芥川龍之介の死を語る文壇仲間」「現代に生きる芥川龍之介」。

会館で買った『芥川龍之介 家族のことば』(木口直子)を読むと、親しい人々の観察から芥川の日常や人柄がわかる。

芥川の夢は幼稚園時代は海軍将校、小学校は時代は洋画家。そして一高時代に木の葉が風に揺られて、ひとつひとつが思い思いの形に揺れているのをみた。想像の世界の素晴らしさ、美しさに魅せられて、文学を終生の仕事にしたいと痛切に感じた。

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親友の室生犀星は、田端文士村を「賑やかな詩のみやこ」といい、その「詩のみやこの王様は芥川龍之介」と語っている。龍之介という名前は、生年月日時が辰年辰月辰日辰刻だったことによる。芥川の実母は龍之介を産んだ後に狂人となった。芥川は「ぼんやりとした不安」によって自殺したとされるが、その一因は発狂の予感に対する恐怖心にあったかもしれない。「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」「畢竟気違ひの子だったのであろう」。

 

東京の文士村は4カ所あった。田端の他は、尾崎士郎の馬込、阿佐ヶ谷、落合だ。

大正3年東京美術学校が開校すると、近くのこの辺りは絵描き村になった。それが文士村になっていった。

芥川の書斎の8畳間「澄江堂」で(後に4畳半を建て増し)13年間執筆した。日曜日が面会日だったのは、わずか1年あまりで接触が終わった師の漱石の影響だろう。ライジングサンジェネレエションの一人という芥川は「先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は、この頃或転機の上に立ってゐられたやうだから。すべての偉大な人のやうに、50歳を期として、更に大踏歩を進められやうとしてゐたから。、、、絶えず必然に、底力強く進歩して行かれた夏目先生を思ふと、自分の意気地のないのが恥ずかしい。心から恥ずかしい」と語っている。(『新思潮』い掲載された「校正の后に」)

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「僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です」

「人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕らは人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らねばならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである」(大震雑記)。因みに、芥川は鎌倉にいた8月、藤、山吹、菖蒲などの花々が季節外れに咲き誇っているのを見て「天変地異が起こりさうだ」と予言した。

「うぬ惚れるな。同時に卑屈になるな」((闇中問答)

「彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」(「或阿呆の一生」)

 

1924年昭和2年)7月24日、自殺。遺書。わが子等に。

1.人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。2.従って汝等の力を恃むことを勿れ。汝らの力を養ふを旨とせよ。、、、」

「生前の父が、芸術家ほど苦しい職業はない。この仕事は私だけでたくさんだ。こどもだけは芸術家にしたくない、と母に語っていた、、」。比呂志(菊池寛から「ひろし」をもらった)は、俳優・演出家。多加志(画家・小穴隆一から。戦地で若くして亡くなった)、也寸志(友人の井川恭から)は作曲家。父の願いどおりにはいかなかった。「赤ん坊が出来ると人間は妙に腰が据わるね。赤ん坊の出来ない内は一人前の人間じゃないね」。

最近は、「文豪とアルケミスト」(文アル。錬金術師)という文豪転生シュミレーションゲームが人気だ。そのキャラクターが飾ってあった。左右は、太宰治泉鏡花だった。文学書を黒く染めてしまう「本の中の世界を破壊する侵蝕者」に対処するアルケミストたちの物語。最近、記念館をまわるとこういったキャラクターが飾ってあるのを見かけることがある。この世界ものぞいてみよう。

https://bungo.dmmgames.com/

https://www.youtube.com/watch?v=Dp2qgOlbQJI

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企画展で見つけた文藝春秋大正13年11月号の直木三十五の「文壇諸家価値調査法」が面白い。70人ほどの文化人を俎上に載せたお遊びだが、なかなかポイントを衝いている感じがする。

学殖。天分。修養。度胸。風采。人気。資産。腕力。性欲。好きな女。未来の9項目で、それぞれ100点満点で採点している。優等は80点以上、及第は60点以上、仮及第は50点以上60点未満。

芥川龍之介は、学殖96点で1位、天分96点で1位、修養98点1位、度胸62点、風采90点、人気80点で4位タイ(菊池寛、谷崎、久米の次)、資産(骨董)、腕力0点(ビリ)、性欲20点(倉田百三100点)、好きな女「何でも」、未来97点(里見頓98点、菊池寛96点)。何か不思議な納得感がある。 女性も、野上弥生子、中條百合子、宇野千代、九條武子なども入っている。あまりにふざけているとして訴訟もあったとのことだが、面白い。f:id:k-hisatune:20191230180008j:image

本日の夜21時15分から「スペシャルドラマ スオレンジャーーー上海の芥川龍之介」の再放送があり、100年前の1921年の大阪毎日新聞特派員の芥川龍之介が描かれていた。主演は松田龍平

100年前、大阪毎日新聞の特派員として上海を訪れた芥川龍之介

スペシャルドラマ
ストレンジャー~上海の芥川龍之介
A Stranger in Shanghai

芥川龍之介 家族のことば

芥川龍之介 家族のことば

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 春陽堂書店
  • 発売日: 2019/10/10
  • メディア: 単行本
 

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「名言との対話」12月30日。リータ・レーヴィ=モンタルチーニ「わたしはね、明日やることがわかっているの」(100歳時のインタビュー)

リータ・レーヴィ=モンタルチーニRita Levi-Montalcini1909年4月22日 - 2012年12月30日)はイタリア神経学者

イタリアで最も有名でかつ最も愛された女性科学者である。神経症に関わる神経成長因子を発見し、1986年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

この人には3つの特色がある。女性受賞者。イタリアのユダヤ人コミュニティから4人目の受賞者。103歳というセンテナリアンであったこと。

ノーベル賞の受賞者のうち女性は5%ほどしかいない。2012年現在で、受賞者863人のうち、女性は44人。受賞者は女性の中のトップオブトップだ。ノーベル物理学賞、8年後にノーベル化学賞と2回受賞しているのはキュリー夫人こと、マリー・キュリーだ。このキュリーの娘のイレーヌも、後にノーベル化学賞を受賞している。親子受賞である。

ユダヤ人は世界人口の0.2%であるのに対し、ユダヤ人のノーベル賞受賞者は20%という多さは驚きだ。イスラエルには「ノーベル賞受賞者の並木道」があり、記念額が設けられている。文学賞ボブ・ディラン。物理学賞のアインシュタイン。平和賞のキッシンジャー。経済学賞のサミュエルソンフリードマンクルーグマン。しかし彼らの国籍は様々だ。ユダヤ人は累計で150人を超えている。国別ではアメリカが圧倒的で、イギリス、ドイツ、フランスが多く、日本は30人ほどで第3グループのトップを走っている。

モンタルチーニは103歳まで生きている。「老後も進化する脳」という日本名の本も書いている。ミケランジェロガリレオピカソたちが老齢になっても活躍できた理由を考察し、老いと脳を解き明かそうとした。その秘密は「わたしはね、明日やることがわかっているの」という言葉に尽きるのではないだろうか。脳は進化するのだ。