作家とは何か? カナリアとイタコ。マーケッターとカウンセラー。

 

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インスタグラムで「後ろ姿探検隊」というテーマで写真をアップし続けている。テーマが決まると焦点が定まってきて、意欲が湧いてくるから面白い。

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本日の東京新聞で作家の五木寛之(88歳)のインタビュー記事で「人生100年時代」を語っている。

  • みんながそれぞれ心の中に持っている無意識の欲望や夢を感じ取り、形にして投げ返すのが作家だと思っていいます。(作家はマーケッター)
  • 今必要なのは楽しみを加える技術ではなく、苦しみを救う技術です、
  • 人生に目的はありません。あえて言えば、生きるということ自体が目的です。

作家はガス発生をいち早く察知する炭鉱のカナリアにように人々の不安を感じる。その不安を言葉にするのが作家の仕事との理解である。いわばマーケッターだ。また作家は死者や祖霊の言葉を伝える霊的力を持つ巫女であるイタコ(東北地方の霊媒)であり、イタコの口寄せと同じで実は書かされているとも述べている。生者に寄り添う心理カウンセラーの役割なのだろう。

社会の不安をいち早く察知し、人々に神々の言葉を伝えるという仕事ということか。五木寛之の息の長さの秘密はここにある。優れたマーケッターとして時代と社会をつかみ、優れたカウンセラーとして言葉を紡ぎ人々に伝える。その名人だということがわかった。

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  • 仕事始め。新年の学長挨拶に総研所長として出席。
  • 久しぶりに金先生としばらく懇談。同年齢で多摩大に来たことを言い忘れた。

 

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「名言との対話」1月6日。花柳章太郎「俺にはこれだけの材料がある。一生かかったって全部はやりきれない」

花柳 章太郎(はなやぎ しょうたろう、1894年明治27年)5月24日 - 1965年昭和40年)1月6日、本名:青山章太郎)は、戦前から戦後にかけて活躍した新派を代表する女形役者。

 1915年泉鏡花作『日本橋』の主役・お千世が出世作瀬戸英一作『二筋道  花柳巷談』が大成功、これで新派が復興する。1939年、「新生新派」を結成、本流新派から完全な独立を果たす。この年、溝口健二監督に乞われて映画『残菊物語』に主演、悲劇の歌舞伎役者・二代目尾上菊之助を演じた。溝口監督は「コクのある役者」「役者の中の役者」「活火山」「男は自分を燃焼させるために油が必要になる。魂を燃やすために有効な油は恋愛だ」と花柳を語っている。1952年の新派大同団結以後は座頭となって劇団を統率し、初代水谷八重子との名コンビによって次々に傑作を世に送りだした。

文部大臣賞、毎日演劇賞、日本芸術院賞菊池寛賞、アサヒ文化賞、NHK放送文化賞など受けた賞も多く花柳賞太郎の異名もある。人間国宝でもあった。文化功労者選定記念の舞台で急死。享年70。

親友の川口松太郎は死後『役者 小説花柳章太郎』を書いた。今回その本を読んだ。花柳の親友「信吉」との交流の中で物語が進行する。この信吉という直木賞作家は川口本人だろう。川口は親友花柳のために「明治一代女」を書いた。

この小説では女形の花柳を以下の様に描いている。役者バカ。女に扮する不自然は女と寝ることで解消されると教えられていた。難しいのはうしろ姿。体で修行している。 華やかで憂いがあり、ベソをかいてうなだれる顔は抱きしめてやりたいほど美しい。

川口からみた花柳はどういう人であったか。人気の頂点にいながら人気に溺れない。当たりが出来るたびに財産が増える、これが口ぐせだった。安住が嫌いな性格で、どの仕事にも運命を賭ける。冒険の中から次の自分を求める。貪欲。

「役者と作者結びついた時、芝居は繁盛する」と花柳は言い。小団次と黙阿弥、左団次と岡本綺堂を例に挙げている。章太郎と信吉(川口松太郎)がそれに並んだのだ。花柳は戦後は立役もこなしたが、「女形で駄目なら自殺する」というほど女役が真骨頂だった。

花柳章太郎は、手帳に自分のやりたい作品の題名を書いていた。感銘した小説や戯曲の希望が叶うと朱で丸をつける。「俺にはこれだけの材料がある。一生かかったって全部はやりきれない」。これが花柳章太郎のエネルギーの源だったのだ。役者バカは、馬鹿ではつとまらない。 

役者―小説花柳章太郎 (1966年)