結婚式場の寒緋桜。
4月の人選と本の注文。来月はどんな出会いがあるでしょうか。
菊竹清訓。松山幸雄。バーンスタイン。桂米丸。団伊久磨。ベティ・フォード。広中平祐。富永光行。すぎやまこういち。荒巻義雄。霍見芳浩。河原敏明。田原総一郎。団鬼六。清水信次。ホーネッカー。ハンチントン。千宗室。塚本三郎。興津要。加賀乙彦。円谷一。大貫哲義。富永一朗、加藤秀俊。御射山守彦。千秋実。安部晋太郎。河野多恵子。
2日前に注文をしたのですが、もう11冊届きました。送料込みで1万7千円ほど。送料が高いが、日本の物流がすごい。
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明日の図解塾の課外授業「名言との対話」の準備。
- 職業・仕事ごとに名言を整理。ーーーー教育者。エッセイスト。漫画家。童話作家。武将。詩人。小説家。作詞家。作曲家。俳人。歌人。ジャーナリスト。俳優。女優。画家。政治家。宇宙飛行士。創業者。市民活動家。宗教家。映画監督。録音技師。歌手。福祉事業家。学者。経営者。大統領。総理大臣。写真家。革命家。落語家。陶芸家。アスリート。相撲(力士。行司。呼び出し。上床)。野球選手。プロ野球監督。高校野球監督。水泳選手。テニスプレイヤー。ゴルファー。イラストレーター。大臣。空手家。釣り師。登山家。官僚。建築家。デザイナー。政治家秘書。検事。弁護士。裁判官。人形作家。サラリーマン。ノンフィクションライター。指圧師。評論家。ゲームデザイナー。プロレスラー。料理人。教師。スキーヤー。僧侶。センテナリアン。中国人。韓国人。ロシア人。沖縄人。米国人。欧州人。書家。殿様。右翼。ローマ法王。探検家。ディレクター。弁護士。医師。指揮者。知事。編集者。茶人。陶芸家。アナウンサー。障碍者。新聞記者。蒐集家(コレクター)。柔道家。軍人。女傑。
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「名言との対話」3月16日。京塚昌子「肝っ玉母さん」
京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年3月16日 - 1994年9月23日)は、東京都出身の女優。
高校卒業後、新派へ入団して研究生となる。川口松太郎に認められて、1955年「月夜鴉」で初めて主役を演じる。「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。
1959年(昭和34年)8月23日から1972年(昭和47年)2月6日まで放映されたTBSテレビ系列の東芝日曜劇場人気シリーズ『カミさんと私』で伊志井寛の相手役として人気を博す。1963年、東宝演劇部入りして、舞台「マイ・フェア・レディ」などに出演した。
1968年、石井ふく子プロデュース作品『肝っ玉かあさん』で、蕎麦屋を切り盛りするしっかり者で涙もろい母親役を好演した。『ありがとう』などでも母親役を演じ、1970年代のテレビ業界で、「日本を代表するお母さん役」と呼ばれ、「恰幅が良く、割烹着が似合う母親役」で絶大な人気を誇り、CMでも起用された。
数々の名母親役を誕生させてきた名プロデューサーの石井ふく子作品には欠かせない女優だった。11年間の闘病生活の後、亡くなったとき伊志井寛の娘であった石井ふく子は、「ママ(京塚)は年下なのに本当に私のお母さんのような存在だった」と惜しんでいる。
「徹子の部屋」には4回出演しており、その折に黒柳徹子から最大のタブーであった体重を聞かれ、「96キロ」と小さく耳打ちしたが、「まあ、96キロ」と黒柳から暴露されている。
京塚は母親役のイメージが強いが、若い頃はスレンダーな美人で私生活では数々の浮名を流したそうだ。またウイスキーを一晩で3本あけたこともある酒豪だった。体は柔らかかったとの証言もある。
「ありがとう」[
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京塚昌子が残したのは、かっぽう着姿での笑顔と、なんといっても「肝っ玉かあさん」という言葉だろう。蕎麦屋を営みながら、日々襲ってくる様々の事件や苦難に負けずに乗り切っていく役だ。池内淳子の母親とも違って、少しおっちょこちょいだがしっかり者である代表的な日本の母親のイメージだ。
私には1000館近い人物記念館をめぐる中で、世の中で名を成している人は母親が偉かった人が多いとの感慨がある。「頼りにならない父だけど 母の苦労に報いたい」は、猪苗代の野口英世記念館の食堂に掲げてあった「野口英世」という演歌の歌詞である。偉い人の父親はいろいろだが、母親は総じて偉い場合が多いように思う。その母親が今の日本をつくったのだ。京塚昌子という女優は、日本の母親像の形成に貢献したといえるだろう。