午前:学部のズーム授業の7回目。
本日のテーマは「東京都知事選」。6月18日の東京新聞に載った執行広報5人のオンライン共同記者会見の「冒頭発言要旨」が材料である。関心のある2人を選んで、次回し比較すると言う練習。今週から7月3日まで3回にわたって取り組んでいく。受講生一人ひとりが共感し投票する候補者を決めると言う趣旨である。
宇都宮健児(元日弁連会長)。小野泰輔(元熊本県副知事)。小池百合子(東京都知事)。立花孝志(N国党首)。山本太郎(れいわ新選組代表)。
誰と誰を選んだか。公示直後の現時点での若者の関心がわかる。
立花と山本。山本と宇都宮。小池と宇都宮。小池と宇都宮。小池ど宇都宮。宇都宮と小野。小池と宇都宮。小池殿。小野と小池。小池と山本。小池殿。小野と山本。小池と宇都宮。小池と山本。宇都宮と小池。宇都宮と橘。小池殿。山本と小野。宇都宮と小野。立花と小池。小野と山本。小野と山本。小池と立花。宇都宮と山本。小池と山本。小池と立花。小池と山本。小野と立花。山本と小野。小池と宇都宮。小池と小野。小池と立花。宇都宮と小野。
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夜:大学院ZOOM授業。テーマは「図解文章法」。
以下、アンケートから。
思ったこと:・文章と図解は水と油だったが、そうではなかったこと。逆に親和性が高いことに驚いた。・まさに論文の仮説を作るときに、箇条書きで考えるよりも図解を作成することで新しいコンセプトが出るかもしれないと思った。学んだこ:・図解にすることで、抽象的なところが見えてくる。 そこを調べたりしていくことでより具体的になってきて 自分の考えが醸成されていく。・何度も図解を作り直す。この作業がとても大切。・図解は既存の切り口を変えてくれる、自分のバイアスを外してくれるもの。
文章を書く行為は、「(図で)理解・(図で)企画・内容を考える・(図で)伝達する」などのプロセスや組み合わせであり、全て図解の技術を活かせることが分かりました。また、今後論文を執筆するにあたっても、図解→文章という図解文章法を積極的に活用したいと思いました。例えば、図解は仮説の構築においても、論理が抜けている(=仮説)かを確認できます。私は入学して間もないですが、この段階で論文に役立つ知識を得ることができ、感謝しております。文章を書く行為は今後も必要なスキルになると思いますので、今後文章を書く前に図解化する習慣を付けれればと思いました。
■図で考えると文章が旨くなる。その本質は、【文章=内容×表現】、よくある論文の書き方本は表現の話が多い。【内容=図解】アプローチが可能、ということが今日の最大の収穫であった。■図から文書にするWorkは大変興味深いものであった。想像が膨らみ、好奇心も出た。たぶん自分自身で図解すれば、その本は完全に自分のものになることであろう。又その活用・応用もできると考える。■現在修士論文に取り掛かっており、前回より図解を行っている。まだ部分であるが、更にうまく活用していきたい。
今日の授業でたくさんのことを学ばせていただきました。主に新しいことを発見することや、文章を作り方を学ばせていただきました。 1.文章の書き方。文章=内容*表現。内容は図解を利用して、論理的な文章を書けます。 2.もしよい論文テーマがない場合、関心ある分野から本を選んで、図を描き、図から新しい発見が出で来るかもしれない。 3.図で文章を書きこと。私梅棹先生が著作した知的生産の技術の本を選んで文章を作りました。「知的生産とはよむ、考える、かくことで新しい情報を生産すること」。本を読むとき、新規の情報をカートで一枚一項目を書いて、組み合わせて、新しい発見が出で来るという点は凄く関心を持っています。
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「名言との対話」6月19日。田鍋友時(長寿者)「無限です」「まだまだ10年生きたい」「まだ死にたくはない」
田鍋 友時(たなべ ともじ、1895年(明治28年)9月18日 - 2009年(平成21年)6月19日)は、かつて男性長寿日本一であった宮崎県の長寿者。
2007年1月24日からは、男性長寿世界一となり、ギネスブックにも認定された。
宮崎県都城市生まれ。市役所に土木技師として務めた後、農業を営んでいた。亡くなった時点で子供が8人(5男3女)、孫が25人、曾孫が53人、玄孫が7人いた。
新聞を読むのが日課で、日記を何十年も付け続けていた。好物は牛乳で、毎日午後3時に飲む習慣は欠かさない。自身の長寿の秘訣は、「たばこを吸わないこと、焼酎(酒)を飲まないこと」だという。晩年は五男夫婦と3人で暮らしていた。
私の「新・孔子の人生訓」では、112歳までが「大人期」であり、それ以降は「仙人期」になる。その仙人期で、田辺はどのように発言したか。
2007年に112歳の誕生日を迎えた際、「何歳まで生きたいか」との質問に「無限です」と答えたという。
「まだまだ10年生きたい」は、宮崎県都城市の自宅で、2008年09月11日に語った言葉である。時事通信社が配信した当時の写真をみると本当にそう思っていたのではないかという気もする。
2008年の113歳の誕生日でもあと何年生きたいかという問いに対し、「まだ死にたくはない」と答え、健在ぶりをアピールした。
2009年5月上旬頃から、起き上がって過ごすことができなくなり、同年6月19日午前5時に慢性心不全のため死去。享年113。男性の世界最高齢者であった。
2007年1月28日からは、福岡県の皆川ヨ子が長寿世界一となり、一時期、男性長寿世界一と女性長寿世界一の両方を日本人が独占していたことになる。
男性長寿世界一の記録を達成した田鍋友時は、「何歳まで生きたいか」との質問に、「無限です」「まだまだ10年生きたい」「まだ死にたくはない」と答え続けていたのである。
この機会に、近代以降の「高齢で死越した著名人一覧」の資料を調べてみた。いずれこのリストを活用するときがくるだろう。