蜃気楼大学ーー友情のきずなと、あふれる幸福感と、知的刺激に満ちた日。

1年に1日だけ出現する理想の大学「蜃気楼大学」の日。朝11時から夜まで。第1回の昨年の倍の200人ほどが八王子の広大な大学セミナーハウスに参集しまました。

友情のきずなと、あふれる幸福感と、知的刺激に満ちた日となりました。私は、一日学長の役割(開会式と閉会式の挨拶)と「日本文明論」「日本人論」の発表でした。

10の教室で計50ほどのセッションが開催され、それぞれ興味深いが、内容は後で動画でみることにして、すべての教室をまわってみました。

「公開対話 生成AI時代の善き街作り」(奥出直人・三宅陽一郎・梁瀬博一)。「頭の中、の外で考える」(オガサワラユウ。「当事者としての組織作り」(山田裕嗣)・「イノベーションネーション・シンガポールからの学び」(辻悠佑)。ソマティック・ファシリテーション」(ゆっきー)。「学びたい欲求と非日常学習」(山口紗矢佳)。「カムイの計らい」(UtaE)。舞台を絵本化するメタバース出版の試み」(える)。

私の教室:「日本文明論ー梅棹忠夫著作集」(久恒啓一・都築功・深谷康夫)。「ゲームは動詞でできている」(浅野耕一郎)。「イコール公開編集会議」(橘川幸夫)。「日本人の幸福論」(久恒啓一・垣内武・鈴木章子)。

昼休みは講堂で開催されているブースを見学。気仙沼から8人の高校生も参加。

閉会式ら続く懇親会も盛況で、多くの人たちと交流ができ、あちこちで新しいプロジェクトが生まれている様子を楽しみました。

全員での記念写真は後ほど入手しだいアップします。

開会式。

閉会式。

前列は左から久恒、橘川、田原。

後列は図解塾の仲間の左から都築、垣内、柴田、鈴木、深谷

記念写真。

ーーーーーーーーーーー

「名言との対話」。2月3日。水田洋「いざとなったら選挙で変えていけるという回路があることが大事」

水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - 2023年2月3日)は、日本の経済学者社会思想史学者、市民運動家。享年103。

東京出身。東京商大卒。戦時中はジャワで農村事情の調査に従事。1949年に名古屋大学助教授として赴任。多くの学者を育て、また学外の人材も支援した。
2023年5月3日の東京新聞名古屋大学名誉教授の水田洋先生が「己の道」シリーズの4回目として2ページにわたって顏写真付きで登場されているのを発見した。私がビジネスマン勉強会「知研」に入会した当時、講演を聴き、テープ起こしをしてやり取りをした方だ。年齢は「101」となっていた。「社会思想史研究の大家」という紹介だ。

私が接触した当時の水田先生は60歳前だったのかと驚いた。トマス・ホッブスアダム・スミスの研究家の名古屋大学教授としてしか知らなかったが、行動派でもあったようだ。名古屋五輪の招致反対運動、愛知万博に環境破壊の観点から異を唱える、「あいち九条の会」の代表世話人自衛隊イラク派遣差し止め訴訟の原告として、書斎から飛び出している学者だった。

まず個人があり、その個人が権力を国家や政治に譲渡する約束をしたというホッブスの考えが基本にある。「人間は、国家や政治権力に抵抗する権利がある」とし、最近の日本の政治に対しては「民主主義にはこんな危険がありますよ」というサンプルを見せてくれた。随分高くつくサンプルだ。それでも、個人個人がいざとなったら選挙で変えていけるという回路があることが大事。まあ、これからが見ものですよ」と締めくくっていた。百一歳を迎え今なお意気軒高なセンテナリアンの水田先生の言葉には重いものがある。

2015年9月20日に水田洋先生(名古屋大学名誉教授)の記事が安保法制の反対の趣旨で東京新聞に載っていた。知研で講演をしていただいて、若き私が講演録をまとめたことがある。社会思想史の大家だ。御年96歳になるが、堂々とインタビューを受けている。蔵書は2万冊以上。アダム・スミスなど古典派経済学古代ギリシャ思想史、欧米の近現代文学、、、、。「国の文系軽視は国民の判断力低下につながる。戦争の反省を忘れたのか」「知性の未熟さが招いた戦争」、、、。

水田先生自身からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している。

水田先生には私が30代になった頃に接触する機会があった。当時の先生は名古屋大学教授で60歳前後。96歳の時点での新聞記事、101歳の新聞記事、そして103歳での大往生を知った。学者としての人生と活動家としての人生を両立させた生涯だった。

101歳では日本学術会議会員の任命問題、102歳でもロシアのウクライナ侵攻への懸念を語っていたそうだ。103歳で亡くなったとき、杉山直名古屋大学総長は、「名古屋大学を代表する知の巨人」と悼んでいる。水田洋先生は、人生100年時代のモデルである。

水田洋先生の思い出 | 原田哲史の研究室